どうも村田です

日本は易姓革命
ならぬ「易系革命」
なのだ。
皇統の中でも正統と
傍流の転換が起きて
いるということなのだ。
『神皇正統記』
には歴代天皇の御名前と
その御治世が書いてある
のだが、
そこには「代数(代)」
と「世数(世)」 と
いう分け方があるのだ。
例えば後村上天皇は
第九十六代天皇だが、
第五十世になって
いるのだ。
後醍醐天皇は第九十五代
かつ第四十九世だが、
花園天皇は第九十四代で
世数はないのだ。
世数というのは、
要するにきちんと
その家系ごと、世代ごと
に継承されてきた正しい
天皇の代数のことなのだ。
初代の神武天皇から
皇統がずっとつながって
いて、景行天皇
(けいこうてんのう)
がいて、
仲哀天皇
(ちゅうあいてんのう)
がいて、
応神天皇
(おうじんてんのう) や
仁徳天皇
(にんとくてんのう) が
いてと続いていくのだが
仁徳天皇の血筋から
武烈天皇(ぶれつてんのう)
というかなり危険な
人物が出てきてしまって
大きな問題になるわけ
なのだ。
そこでわざわざ越前
(現在の福井県)
にいらっしゃる応神天皇
の御子孫である
継体天皇(けいたいてんのう)
を連れてきて天皇に据えたと。
この辺りから
正統(しょうとう)をめぐる
争いが始まっていくのだと、
親房は描いているのだ。
ちなみに、親房が記した代
数は現在の皇統譜とは
違っているのだ。
例えば、現在だと
応神天皇は第十五代かつ
第十五世ですが、
『神皇正統記』には
第十六代と書いてあるのだ。
現在の皇統譜と親房の
ものとでは、代数に
違いがあるということ
なのだ。
これはなぜかというと、
近代になって神功皇后や
その他の女性天皇の代数を
外してしまったからなのだ。
明治時代以降に外して
しまったのだ
男系男子のイデオロギー
が強くなりすぎて、
その結果外してしまったのだ。
女性も天皇をやっている
のだが
「それは真の天皇じゃない」
という扱いにされてしまった
のだ。
それはともかく、
北畠親房の議論に忠実に
いくと、応神天皇や
仁徳天皇といった
立派な天皇がいる一方で、
武烈天皇という少し危険な
天皇も出てしまったと
いうことで皇統が代わって
しまって、
血統が仁徳系から
継体系(越前の方)に
移っていったのだ。
そうした血統の交代は
以降も繰り返し起こる
のだ。
歴史学者である今谷明氏は
『現代語訳 神皇正統記』
の中でこんなふうにいって
いるのだ。
「継体天皇が位につかれた
ことは思いもかけぬご運
だったと思われる。
皇統が絶えそうになった
時に、群臣が探し申しあげ、
賢明な方だということで
皇位をお迎えしたの
だから、これこそ
天照大神のご本意と
考えられる」
「皇位の途絶えた時に
賢明な人が皇位に
就かれることは天の許す
ところである。
継体天皇はわが国
中興の祖と仰ぎ奉る
べきである」
天皇家というのは
父子一系で、父から子へ
とずっとつながっている
ものだと思われがちだが、
実は日本の歴史に
おいてはそうでは
ないのだ。
ときどき、ものすごく
大きな転換、皇統内転換
というものが起こるが、
この仕組みこそがまさに
天皇家が長く続いてきた
理由でもあるということ
なのだ。
北畠親房は
「天智天皇(てんじてんのう)
や光仁天皇(こうにんてんのう)
は非常に徳のある方だった。
だから大きな転換が起きる、
つまり正しい皇統
(正統(しょうとう))
に戻る
ということはある意味
必然だった」
とこんなふうにいって
いるのだ。
「天智天皇はもともと
正統(しょうとう) で
いらっしゃり、
第七皇子
(『類聚三代格』は
第三皇子とする) の
志貴皇子(しきのみこ
施基皇子とも記す)
は非難される点が何もない。
志貴皇子(しきのみこ)
の皇子にあたる
光仁天皇が即位された
ことは
正理(正しい筋道)
にかなっているのだ」
というふうにいっている
ということなのだ。
話は脱線するが、
イノシシの写真があるが
これは京都の自宅近くに
ある護王神社
(京都御所西)だが、
そこに狛犬ならぬ
「狛猪(こまいのしし)」
がいるのだ。
ちなみにこの神社が
祀っているのは
和気清麻呂公
(わけのきよまろ) なのだ。
なぜイノシシと
和気清麻呂公が関係
するのか?
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

