どうも村田です
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皇統の問題と麻の
問題という2大テーマ
で繋がっているのだが、
両方とも日本の神聖性
に繋がるのだ。
祭り主である天皇の
神聖性、それから麻
というのはお祭りに
とっては
なくてはならない、
神聖性を保つ大事な
素材なのだ。
いずれも危機に陥っており、
皇室について、その原因は
すべて占領政策の結果だ
と話したけれど、麻に
ついても全く同じなのだ。
日本の麻というのは
マリファナにならない
非常に安全なものなのだが、
それがマリファナと
同じように思われて
しまっているという
のは、
占領政策のときに
アメリカ軍がマリファナに
なるものと、
ならない日本の麻を
ごっちゃにし、それを
全面禁止しろと言った
ことから始まり、
それを何とか防ぐために、
実は農家を守るために
大麻取締法ができたの
だが、
その経緯が忘れられて
どんどんと麻が衰退して
きてしまっているという
ことなのだ。
驚いた人は結構いるのでは
ないかと思うのだが
まさかこの麻が危険な薬物
というふうに見られるよう
になってしまった原因が
戦後の占領政策にあった、
などということは大概の
日本人は知らないと
思うのだ。
しかし事実はそうなのだ。
だからこそ、変えて
いかなくてはいけないのだが、
現在、日本の麻農家の
一番中心的な存在でいる
栃木県の大森さんを取材
したのだ。
大森由久氏(麻農家)
国内の麻生産の90%以上を
占める栃木県における
麻農家の七代目。
2012年4月「日本麻振興会」
設立、会長に就任
その大森さんのところには、
かつて三重県から谷河原さん
というご夫妻が弟子入りして
修行されていて、谷河原さん
たちは伊勢に戻って何とか
県の神社には県産の麻を
奉納したいということで
頑張っておられて、実は
そちらの方にも取材に
伺ったことがあるのだ。
その当時、谷川さんたちは
三度目の正直で、ようやく
麻を栽培する許可を
三重県から得て栽培を
始めたのはよかったけれど、
まだたくさんのしがらみ
があり、われわれが取材に
行っても麻畑も取材させて
はもらえず、
それは谷河原さんの意思
というよりは県の意思で
取材させてもらえず、
どこにあるかも分からない
まま作業の工程、後半の
作業の工程だけを実際に
撮らせてもらった
というような状況だったのだ。
ところが、今や状況ががらり
と変わってしまったよう
なのだ。
どんなふうに変わったのか、
いい方に変わってきている
ようなのだが、
それは最後の方で少し話
させていただくのだ。
占領政策の話を出したのだが、
いろんな戦後レジームの観念、
南京大虐殺や従軍慰安婦など
いろんな歴史観から自由に
なっていると思っていたのだが、
この麻をもともと
三重県でつくろうというのは
私が言ったわけではなく
三重県の、
特に伊勢中心の企業の方々が
新しいニュービジネス協議会
の取り組みとして、
今麻が危機なので三重県で
つくるということで、
谷河原さんという方を国の
補助を得て、麻をつくる
という補助を得て、
栃木に送り出している
のだ。
その方が帰ってくるので、
県の免許が必要だとなり、
そのために使う側の、
神社界の応援が欲しいと
いうことで訪ねてこられた
というのが始まりだったのだ。
神社界で麻が大事なものだ
というのは分かっていたが、
その時はまだどこかでやはり
マリファナと繋がっていて、
「え、麻ですか?」
と言ったのだ。
「麻はさすがにちょっと」
のように言ったのだ。
まさかそれが戦後レジーム
だとは、その時の自分も
思わなかったのだが、
勉強していくうちに
「ああ、そういうことなのか」
というふうに納得していって、
実際帰ってこられて免許を
取ろうとしたら、
「産業用は認めません。
伝統文化の形でしか認めない」
ということだったので、
最初は応援団のつもりで
やっていたのだが、
もう神社界中心の組織に
変えなければいけない
ということで、
そこから少し表に出るような
形で免許を取りに行くと
いうことだったのだ。
最初に免許申請したのは
平成28年なのだが、これは
ちょうど鳥取で新しく
免許を取った方がマリファナ
を所持していて捕まったという
事件があった時になのだ。
よりによって麻農家が所持
していたというあれなのだ。
それでもう麻づくりは危険
だとか、それから鳥取県知事
が
「何をやっても防げない。
もう絶対に認めない」
と言い出した時だったのだ。
しかしあの事件のそのものは、
実はこれも全く意味が逆で、
持っていたものが作っていた
ものではないのだ。
どういうことかというと、
作っているのに別の麻を
持っていたということは、
実は日本の麻がいかに安全か
という話だったのに、
そこを全然言われなかったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

