どうも村田です
東京裁判史観払拭の
記事は終わったので
今日からは
ジョージ・オーウェルの
『1984年』の世界に
案内するのだ
ジョージ・オーウェルの
『1984年』とは、いわゆる
ディストピア小説の傑作と
いわれているのだ
ディストピアとは、
ユートピアの逆なのだ
ユートピアとは理想郷、
とても現実にはあり得ない
ようなすばらしい世界の
ことだが、
それと逆で絶望の、我々の
絶望が待っている未来、
そういう世界について書いた
『1984年』という小説なのだ
なぜ、この小説を取り上げたか
というと、今、まさに我々が
読み直してみるべき小説
であろうというふうに
思うからなのだ
これはいわば
サイエンスフィクションと
言ってもよく、未来を
予想した小説なわけなのだ
これは実は「1949年」に出た
本であり、書いていたのが
1948年、だから40年後の世界
というか、
こういうような暗い世界に
なっているんじゃないか
ということを
ジョージ・オーウェル
は予想して、
『1984年』というタイトルを
つけたわけなのだ
なぜ、今、この小説を
読み返す必要があるのか
といえば、端的に言って、
今の我々の世界があまりに
『1984年』で描かれた世界に
近づいているからなのだ
まず、シナという国は
共産党の一党独裁の国で、
デモクラシーもなければ、
言論の自由も、集会、結社の
自由も何もない全体主義社会
なのだ
これが最近の進んだITの
テクノロジー、AIのテクノロジー、
ビック゛データ、そういうものを
使って、本当に完璧に近い
統制管理社会、全体主義の社会を
造り出しつつあるということ
なのだ
これが非常に怖いのだ
実は、1991年にソ連邦と
いうのが滅びて、そして
この『1984年』という小説が、
そのモデルにしたのは
スターリン主義のソ連だった
のだ
だから、スターリンが
亡くなったあとも事実上の
スターリン主義、
社会主義全体主義の社会
というのはソ連邦とともに
続いていたわけなのだ
それこそ意見の違う者、
自由化を求める者は異常者と
言って、全部、刑務所に入れたり、
あるいは精神病院に入れて
しまうような、そういう
恐ろしい社会が続いていたが、
1989年が非常に大きな
ターニンク゛ポイントに
なったのだ
この年ベルリンの壁が崩れ、
そしてシナでは天安門事件があり
それ以降、東ヨーロッパは
雪崩を打って自由化、民主化を
してきたことは大変すばらし
かったのだ
そして1991年には、ついに
社会主義の最大の国家である
ソ連邦が崩壊したのだ
これは15の共和国に分裂して
しまい、そして、もうソ連型の
モデル、ソ連型の社会主義的
全体主義はもう滅びたのだと
これは西側、自由な言論があり、
政治的には民主政治、そして
経済的には資本主義、個人の
私有財産を認めて自由な競争で
やっていこうという経済体制、
そして言論は自由にして、
一人一票でみんなで選挙を
やって代表を選んでいくんだと、
言論は自由であると、そういう
社会のありようが完全に勝利
したといわれた時期が
あったわけなのだ
そのとき、これで一つ、
社会主義、共産主義と
いうものに対する人類の
答えが出たと
やはり共産主義、社会主義の
道は間違ってたということが
はっきりわかったんだと言って、
自由社会に住む者はほっと胸を
なで降ろしたり、体制の勝利に
安堵したのだ
しかし、それから思わぬ方向に、
実は、時代は進んできたのだ
その1991年のソ連邦の崩壊を
見て、これで歴史はもう終焉
したといったような
おっちょこちょいの学者まで
出たぐらいなのだ
歴史が終焉したというのは、
人類の試行錯誤をいろいろ
してきたけれど、
資本主義社会、自由な経済
というものと、自由で民主的な
政治体制、これを選んだほうが
いいんだということは、人類が
もう答えが出たろうと、
そういうどの体制が正しいか
という試行錯誤をもうしなくて
いいんだということを歴史の
終焉などという大げさな言葉で
言った
おっちょこちょいの評論家も
出たわけであるがそんなに
甘いもんじゃないだろうとは
思ってはいたのだ
しかし、左翼、左派、
共産主義的な全体主義、
これがだめだということは
さすがにわかったのであろう
というふうには思っていたのだ
そのとき、1984年の世界は
はるかに我々から遠くにある
世界だったのだ
かつて、こういう恐怖の
ディストピア小説は書かれた
けれど、我々がもう一度
こういう未来に遭遇する
ことはないだろうと
高をくくっていたのだ
ところがそれ以降、
とんでもないことが
起きてきたのだ
まず、シナだが、我々は
この国が開かれた貿易体制に
組み込まれればおのずと
徐々に体制、政治体制も
緩んできて、自由というのを
認め、
言論の自由を徐々にでは
あるが認めて、我々の体制に
近い方向に、政治的な民主政治、
そして共産党、一党独裁の否定
という方向に、あのソ連の
ようにきてくれるという
期待をしていたのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる