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毅然と答えたんじゃ

どうも村田です

7つの項目

こういう前書きがあり

そこから本人の証言に

入るわけなのだ。

そこで昭和22年の

12月26日、午後3時過ぎに、

東條が証人台に立つのだ。

そして、220ページに

わたる長大な宣誓供述書

の朗読に入るのだ。

27、28日両日は土日に

あたり法廷が休みんで、

29日全日を費やし、

30日には弁護側からの

尋問があり、31日午前に

東條の口供書に対する

キーナン検察官の反対尋問

があるのだ。

明けて23年の1月1日は

元日のために休み、

その後1月2日の金曜日、

それからまた3、4と

土日が入るものだから、

1月5日の月曜日と6日の

火曜日と

合計4日間にわたって

キーナン検事の反対尋問、

それと東條被告のそれに

対する答弁と、

つまり、これがその当時、

新聞紙上でも、というより、

社会の一般の話題として、

東條・キーナンの一騎打ち

として大変話題になったのだ。

かつ東條が大東亜戦争の

大義を堂々と開陳して

検察側を圧倒したと、

その健闘ぶりが伝わって、

東條が国民の間で人気を

取り戻したとうわさされる

ほどの問答が行われたのだ。

この問答は全被告が出廷

しており、その面前で

行われているのだ。

そして、その尋問には、

米国側のブルーウェット

弁護人、ブラナン弁護人、

ローガン弁護人も時に

応じて発言をしているのだ。

その非常に多岐に渡って

東條被告と検察側との

問答を詳しく調査して、

再現する時間的な余裕は

残念ながらないのだが

1つだけ、東條が昭和天皇

の戦争責任の問題について、

その熱烈な忠誠心のままに

天皇をかばい通した、

その次第を特に抜き出して

検討してみたいと思うのだ。

実は、昭和天皇を裁判に

かけたり、あるいは証人

として、法廷に呼び出す

というようなことは

しないというのが、

マッカーサーの方針で

あったのだ。

それは天皇の権威を

利用して、この占領下

日本の秩序を何とかして

保っていこうと目論んで

いたからであり、

実際問題としてこの

マッカーサーの目論見は

成功したわけなのだ。

キーナンも、昭和21年

6月の一時帰国中に

新聞記者と会見して、

そのことを明言しているのだ。

だから、東條の個人立証の

場で、天皇の責任問題に

触れはするけれど、

もう証言の筋は決まっていて、

うっかり天皇の責任について、

天皇に責任があるような

肯定的な発言をしてしまった

かといって、

それで天皇の身に危険が

及ぶということはないはず

であったのだ。

しかし、ものの言い方という

微妙な波紋が生ずることは

あり得るのだ。

すなわち東條が政府閣僚の

輔弼(ほひつ)、統帥部の

輔翼(ほよく)、

これは輔弼(ほひつ)、

輔翼(ほよく)という

言葉を使うけれど、

要するに同じことなのだ。

軍部についてのみ

輔翼(ほよく)という

言葉を使うのだ。

「東條が政府の閣僚の輔弼

(ほひつ)、輔翼(ほよく)

で一致したことに対して、

天皇は拒否権をお持ちに

ならない。それをご採件に

なるよりほかないのだ」

というこの大日本帝国憲法

に潜む天皇の意思決定に

かかわるメカニズムを

証言しているのは、

これはよろしいのであるが、

一方、東條は、

「日本帝国の臣民であ

る以上、天皇の御意向に

反するごとき言動をする者

はあり得ない」、

そういう表現をとって

いたのだ。

それでは、天皇が

あくまでも開戦を回避

したいという平和への

熱望を無視して、

開戦を決定した東條内閣の

行動は一体何どうなのか

という、そういう矛盾を

突かれる恐れがあるわけ

なのだ。

この微妙な問題に対して、

東條は大変巧みなことで

あるが、

その16年12月8日の開戦の

詔勅を引いて答えているのだ。

すなわち、また繰り返しに

なってしまうが、

「今や不幸にして米英

両国と釁端(きんたん)

を開くに至る、

洵(まこと)に巳(や)むを

得ざるものあり。豈(あに)

朕が志ならむや」

というその一節を引いて、

「この一節は陛下のご希望

により政府の責任において

入れた言葉である」と、

こう説明をして、掘り

下げれば多少そこに背離が

生じてくるかもしれない、

この難問をとにかくうまく

切り抜けたのだ。

そこでキーナンは、東條に

対する反対尋問の最後で、

「あなたは日本国の首相

として、このたびの戦争を

遂行するにあたって、

法律的にも道徳的にも何ら

間違ったことはしたことは

ないというつもりか」と、

こう決めつけるのだ。

東條は堂々として、

「何ら間違ったことを

した覚えはない。正しい

ことをしてきたのだ」

と、こう毅然と答えるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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