どうも村田です

「母の感化」
『ハワイ真珠湾特別
攻撃隊の偉勲の陰に、
偉大なる母の感化あり』
平出海軍報導部課長は
語ったのだ。
「ここに銘記しなければ
ならぬことは、このような
己を滅して、
国家に殉ずる犠牲的
大精神は、偉大なる
母の感化によるところが
大きいことである。
勇士たちは、いずれも
申し合わせたように
親孝行で有名であった。
ある勇士は、休暇になれば
短い期間の時でも、必ず
実家へ帰り、
母親にお伴して一日を送る
のが、何よりの楽しみだった
ということであるが、
これによってもその一端を
うかがうことができよう。
それだけに、母親が勇士
たちを慈しみ育てた陰の力は、
絶大であって、
ことに家のため、夫のため、
子のため、己を顧みずして
働き続け、
そこに無上の幸福を見出す、
母親の献身的な精神感化が、
偉大なる力となって、
勇士たちのなかに生長
したのである。
このような偉大なる日本の
母なくして、どうして
このような純忠な益荒男が
生まれよう。
己を空しくして、子供の中に
生きる母親は、すなわち国家
の中に生きる母親である。」
世界において母性愛の
最も強い国は日本である。
ゆえに、日本軍は最強である。
先生の指摘の通り、近年
広まっている「女性差別」
という言説は、
ある種のプロパガンダに
よって日本女性の本来の
姿やイメージを大きく
損なっているのだ。
しかし、先生の話を通して
明らかなように、日本人は
それぞれの立場や役割を
通じて自己を確認し、
「個」を形成してきたのだ。
したがって、女性が女性
らしく生きることは決して
差別ではなく、
むしろそのような生き方を
通じて、日本女性の個性が
際立ち、
偉大な人格を築き上げて
きたのであるのだ。
その点が実によく伝わる
一文であるのだ。
そのような文脈において、
「母」という存在には
様々な姿があるが、
先生のご出身である
アメリカ南部のご母堂は、
はたしてこのような
「日本の母」
の在り方に通じる方で
あったのか、という
問いが生じるのだ。
母は非常に厳格な
人物であったのだ。
幼少期を振り返ると、
当時の自分は人間と
いうよりもむしろ
チンパンジーのような
存在であり、
そのような我が身を
ひとりの人間として
育て上げてくれた母には
深い感謝の念を抱いている
のだ。
現在においても母との
交流は続いており、
日本を訪れることもある
のだ。
近年は穏やかさが増した
母であるが、その厳しさが
なければ、
自らが大人として成長する
ことは叶わなかったと
痛感しているのだ。
同時に、母は女性らしさを
失わぬ人物でもあり、
そのような女性こそが
社会において極めて
重要な役割を果たして
いることを、
本書を通じてあらためて
認識するに至ったのだ。
確かに「日本の母」という
表現ではあるが、母性
というものは世界各地に
多様な形で存在しているのだ。
そのなかにおける日本の
母性のあり方を見つめ直す
ことにより、
他国の人びとにも母の
偉大さを理解してもらう
機会となり得るのだ。
このような考察は、まさに
「八紘一宇」の精神、
すなわち全人類がひとつの
家族のごとく共存するという
理念にも適うものであり、
そうした観点からの議論も
十分に可能であると考え
られるのだ。
おっしゃる通りであるのだ。
とくに最後の一文、
「世界において母性愛の
最も強い国は日本である、
ゆえに日本軍は最強である」
という表現には深い意味が
込められているのだ。
自身も成長の過程で、
幼少期には自己中心的な
言動が多く見られたが、
それはどの国の子ども
にも共通する傾向である
と思われるのだ。
そうした幼少時代に
「あなたが宇宙の中心ではない」
「この世の中はあなたを
中心に回っているわけではない」
と繰り返し諭され、次第に
自己を律し、他者との関係性
のなかで自己を確立するよう
導かれた経験があるのだ。
かつて真珠湾攻撃に参加した
吉岡政光氏という方に取材した
経験があるのだ。
吉岡氏は2024年、106歳で他界
されたが、彼は生前、
真珠湾攻撃の命令が船上で
伝えられた際に自らの生還は
叶わぬものと覚悟したという
のだ。
しかしながら、最期に
もう一度だけ母に会いたい
という強い想いを抱きつつも、
その感情を抑えて、
お国のため、さらには
他国の人びとのために
任務に臨んだのであるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

