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ありがたいことなんじゃ

どうも村田です

日本は敗戦国の地位から

逃れることができないのだ

敗戦国の地位から逃れる

ことができないという

非常にメンタルに、

精神的に日本人自身が去勢

されてしまって、もう一度

国家と文明の独立性を回復

するという意思に欠けている

ということが一番の問題点

だったのではないかと思うのだ

日米戦争に関してはもう少し

今度は微視的というか、

マクロ的ではなくミクロ的に

見ていくと、

Comintern(コミンテルン)の

謀略にやられたという別の

視野が出ているけど、

これは

Comintern(コミンテルン)の

謀略というのを否定している

のではなく、

ただ非常にマクロ的に大きく

見るとそういったことが言える

ということで、

これは分析のレベルが違う

というだけの話なのだ

どちらが正しいというのではなく、

どちらも正しくて、ミクロ的な

視点から見るのか、

マクロ的な視点から見るのかと、

ものの見方のレベルが違う

ということであろうと思うのだ

少しさかのぼって話をすると、

『ヨーロッパの個人主義』

それから

『ヨーロッパ像の転換』という

2冊の、非常に素晴らしい本を

西尾先生がお書きになって、

これが当時の西尾先生の言論界と

いうか、

論壇へのデビュー作だった

というふうに思うのだ

これらの本を読み、それまで

考えていたヨーロッパ像、

それがまさに転換する

「ヨーロッパの個人主義」

というのはどういうものなのだ、

と、われわれが抱いていた

何となくおとぎ話めいた

「日本もヨーロッパになれば

いいのだ、ヨーロッパのような

国になればいいのだ、それが

日本の近代化の目標なのか」

ということが

「全然そうではないのだ、

文明が全然違うのだから、

日本はヨーロッパに

なりようもない

ということだった。

そしてやはり

「日本人は日本人でいいのだ」

という、ある意味で自信を

与えてくれた本でもあるのだ

また、大体日本のリベラルな

人たちというか左翼的な人たち

の言っていることというのは、

いろいろな問題で

「日本人はなぜダメなのか」

「日本はダメだ」

と日本を否定するのだ。

これは何かというと

「日本人が欧米のように

なれないからだ」という

結論なのだ

初めから

「ヨーロッパのようになれない、

ヨーロッパ人のようになれない、

だからダメなのだ」というのが、

おそらくさかのぼると、

明治時代から左翼の反体制派が

言ってきたのはその一言に

尽きるのではないかと思うのだ

ヨーロッパというのはそんなに

なまやさしいものではなくて、

全くヨーロッパの個人主義

などというものは日本人には

耐えられないくらい

非常に冷たくて孤立したもので

あって、ヨーロッパ人の個人主義

などというものは日本人は

持ちようがないし、

もしそれをまねをしたら、

日本人は限りない孤立感に

さいなまれてとても生きて

いけなくなるだろうという

ようなものなのだ

これは文明が違うから、

ヨーロッパのまねをしろと

言っても初めから無理なのだ

日本は、日本独自の近代化の

道を歩んできたということで

「それでいいのだ」

ということが納得できるし、

異文化理解というもの、戦後、

進歩的文化人が言ってきた

「日本はだめだ、それは日本人

がヨーロッパ人のように

なれないからだ、あるいは

アメリカ人も含めて欧米人の

ように行動できないからだ」

というのは全くの間違いだと

いうことがよく分かった

2冊の本であるのだ

それだけではなくて

西尾先生は、本来はドイツ

思想の研究家であって、特に

ニーチェの研究で有名であり、

またそれまできちんとした

翻訳がなかった

ショーペンハウアーの

『意志と表象としての世界』

という大変分厚い本を監訳され、

そしてツァラトゥストラも、

これは先生の師匠筋にあたる

手塚富雄先生の監修という

ことになっていたと思うが、

実際上は西尾先生がほとんど

翻訳されたのではないかと

思っているのだ

『ツァラトゥストラは

かく語りき』

もニーチェの主要作だが、

主に西尾先生の翻訳で読ませて

いただいたと思うのだ

こういう大変なドイツ思想の

重厚な研究者であられると

同時に、常に行動する思想家

ということで社会問題にも

積極的に発言を続けてこられた

方なのだ

それは単に東京裁判史観の

一掃ということではなくて、

特に移民問題なのだ

1980年代後半のバブル期に

もう景気がよすぎたものだから、

いわゆる「3K 労働」を

やる労働者を国内にもっと

入れよう

という議論があったときに、

日本が単純労働者を受け入れて

はいけないのだという話で、

猛烈な反対を先生も原理原則的

にされていたのだ。

1989年の12月末が日本のバブル

のピークで、その後はバブルの

崩壊になってしまったから

何となく不景気になり、

それほど人手不足でも

なくなったのだ

だから、いわゆる外国人労働者

を大量に入れようという話は

そこで立ち消えになったのだ

だが、低賃金労働を求める

日本の財界の圧迫があって

研修生制度ということで、

いつの間にかまた実際上の

移民政策が始まっていて、

それが大変問題があるのに、

今度は本格的な移民政策である

ところの改正入管法も、

2018年11月に通ってしまった

ということなのだ

少しはアベノミクスで景気が

よくなってきたということが

根本にあるのだが、

日本としてはやってはいけない

政策に関して本当に超一流の

知識人、言論人である西尾先生

がある意味で苦労を積極的に

買ってでて、

この反移民の論陣を今も

張られているということ

なのだ

これは日本にとって

ありがたいことです

西尾先生の言論によって

目覚めた政治家や一般国民は

多いのではないかと思うのだ

これも先生の非常に大きな

功績なのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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