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掲げることにしたんじゃ

どうも村田です

昭和16年1月、

第二次近衛内閣で

陸軍大臣に就任した時、

東條は戦陣訓というのを

発行しており、その中で

「生きて虜囚の辱めを

受くることなかれ」

という訓示を述べている

のだ。

これは、実は支那事変

において中華民国軍の

捕虜となった

日本の兵士に対する

彼らの扱いがあまりにも

残虐でひどいので、

捕虜になるくらいなら

むしろ死んだ方が良い

という通念が陸軍の中に

行き渡っていたのだ。

そこから出た訓示で

あるのだ。

その軍人の訓示者の

本人が、まさに虜囚の

辱めを受けそうな予感に、

とっさに自殺を図った

ということなのだ。

この東條の自殺は、

敗戦が決定した時に、

高級軍人とか為政者の

間に多く出たのだ

敗戦の責任を負っての

覚悟の自殺とは性格が

違っているのだ。

そのために東條の

自殺未遂は当時、国民の

間にはなはだ評判が良く

なかったのだ。

だが、その悪評を

やがて半年の後、

昭和21年5月3日に開廷

された

極東国際軍事裁判の

法廷において、東條は

見事にその悪評を覆して、

大東亜戦争の大義のために

万丈の気を吐く機会を掴む

ことになるのだ。

東條英機は、

昭和18年の11月には

大東亜会議の主催者、

大東亜共栄圏の指導者

として、その生涯の

栄光の絶頂の座にあり

それから1年10カ月後の

昭和20年9月には、

戦争犯罪容疑者第1号

として、

かつ自殺未遂の重傷者と

してとらわれの身となる

わけなのだ。

この激しい地位の転落ぶりに、

国民は概してあまり同情を

持っていなかったのだ。

むしろ、あざ笑う、

冷たく笑う、ののしりの

声を送る方が多数派だった

のだ。

しかし、その

極東国際軍事裁判で

昭和21年5月3日に開廷

された

通称東京裁判だが、この

公判が進行していき、

やがて東條被告自身が、

つまり被告側の弁護段階

に入った時であるが、

そこで個人立証段階

というのがあり、

そこに個人として登場

することになるのだ。

その時期が昭和22年の

年末から23年の年度に

かけての公判廷なのだ。

この時、東條は日本帝国を

代表して、大東亜戦争の

大義のほどを、

つまりこの戦争には立派な

義があったということ

それを堂々と弁論して、

停戦協定成立直後の

屈辱の恥を挽回するに

足る国民的な人気を

取り戻したと言っても

よろしいのだ。

東京裁判それ自体が実に

程度の低い茶番劇の本質

を持っているということ

への批判はもう簡単に言うと、

話はとめどもなく長くなり

そうだからやめるのだ。

東條被告の重要な反論の

趣旨を述べる方が、

これが大事なのだ。

やむを得ず、この裁判の

基本的性格とそれの持つ

最大の結果について、

必要最小限度の説明を

するのだ。

日米戦争を中核とする

大東亜戦争を、とにかく

勝利者の立場に立って

終結させることに成功

した

アメリカとしてみれば、

第一に必要なのは、この

戦争を戦った自らの義

なのだ。

それを明らかにしたいのだ。

しかしながら、原爆投下

ということをその極点と

して、

自らの戦争犯罪的な

戦争遂行に数え切れない

ほどの傷を自覚している

アメリカとして、それは

かなり難しい作業だった

だろう。

もう至る所でアメリカの

犯した戦争犯罪ということ

を指摘できるわけなのだから。

そこで彼らは視角を変えて、

「このたびの戦争が世界に

及ぼした災いの一切は、

日本が行なった犯罪的な

侵略戦争に責任がある。

そこで日本に対する

処罰が必要なのだ」

というこの論理をもって

自らの義とする、そういう

発想が生じたのだ。

これならば、自らの義を

立証するよりはるかに

容易であるのだ。

それには格好の前例があり

すなわち、ナチスドイツの

国家犯罪を裁いた

ニュルンベルク裁判なのだ。

このニュルンベルク裁判

をモデルとして、

アメリカは

極東国際軍事裁判所条例、

この条例というのは、

原語は「charter」であり、

憲法の憲に文章の章、

憲章と訳す例もあるけれど、

やや大げさな訳かと思うのだ。

条例と訳しておいて

よろしいと思うのだ。

その裁判所条例を作り、

この条例を法的な根拠

として、

日本帝国の戦時指導者

たちを裁判にかけ、

そしてその成果を世界に

示すことによって

自分の義を証明しようと、

それを企んだわけである

のだ。

ところが、それまでに

できていた既成の

戦時国際法には、

戦争それ自体を犯罪と

する条項はないのだ。

そこで、このcharterの

第1条に、平和に対する罪

という罪を作り出して

掲げることにしたのだ。

これによれば、戦争を

起こすことを決めた、

共同謀議に参加したと

される

容疑者すべてを裁判の対象、

被告とすることができる

わけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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