どうも村田です

ポツダム宣言
第6項において、
世界征服に狂った
「国家」
とそれにだまされた
無垢な「国民」
という二項対立を
出して、国民と国家
を分断したうえで、
国民を免罪し国家を
批判するのだ。
これを受け入れたのだ。
つまり、南京陥落の
時に誰がちょうちん
行列をやったか
国民であり
そして国民は誰が
だましたか、
だましたというか、
要するにあおったのか。
メディアであり
そのメディアと国民は
全部不問にして、
「すべて悪かったのは
国家だ、そして国家に
いる政治家だ」
と言って、
A級戦犯扱い
したわけなのだ。
しかし一方で、
「自分たちは無垢で
あった、だまされたんだ」
と言ったわけなのだ。
そこから日本人の、
戦後日本人の国家
嫌いが始まるのだ。
もう二度と私たちは
国家と言えなくなった
ことになるのだ。
少し「国家」
と言っただけで、
私もそうだけれど、
右翼レッテルなのだ。
「え、そんなに国家
好きなのですか」、
違うだろう。
国家を私たちが
つくったのだから、
国家について語らないと
どうしようもないのだ。
だからそういう意味
で言うと、高市さんの
あの話、演説で、
国民国家とさえ
彼女は言わないのだ。
「国家国民のために」
と、国家が先に来る
というのは、久しぶりに
聞いたのだ。
あれはなかなか、
多分確信犯なのだ。
国家国民のために、
しかしこれがポツダム
宣言でできなくなるのだ。
アメリカの初期
対日政策も読んで
もらったら分かる
のだが、
戦前を暗黒化して
国家主権を剥奪、
その国家主権を剥奪
する時に重要なのは
2つなのだ。
これはどんな政治学の
教科書を読んでも
出てくるが、
国家主権を定義
するのは2つなのだ。
1つは憲法制定権、
もう1つは交戦権なのだ。
これこそ国家民族を
かけた決断なのだ。
では、戦後日本は
憲法制定したのかか。
していないわけなのだ。
マッカーサー3原則だから、
そこで全部なのだ。
その中で何と交戦権
放棄させられたわけ
なのだ。
国家主権の2つを
失ったまま出ている
わけなのだ。
しかもこれは中国利権
を巡って、二度と日本が
米国の脅威にならぬ
ように牙を抜く
という日本の非軍事化
を平和主義という形で
糊塗しているわけ
なのだ。
それによって私たち
は国家に対して
不具になったのだ。
国家に対して
語れなくなったのだ。
さて、とはいえ、
これもどこかで言って
いるが、アメリカの
対日政策は転換するのだ。
それはなぜかというと
簡単で、やはり冷戦
なのだ。
冷戦は1948年から
始まるが、何とNATO
が成立すると同時に
ワルシャワ条約機構が
できるわけなのだ。
この時、ワルシャワ
条約機構、つまり
ソ連なのだ。
ソ連が西洋と対立する
ということを面と
向かって言ってくると
同時に、
この辺りでソ連が
核兵器開発、これに
成功するのだ。
だから、ワルシャワ
条約機構も出してくる
のだ。
そして1949年、ソ連が
先ほど言ったように
核武装したうえで、
中国大陸で中国共産党が
何と勝利するのだ。
それまで国民党が勝利
すると思っていた
アメリカは寝耳に水
なのだ。
国民党を応援して日本
を弾圧すれば、つまり
中国市場も取れると
思っていたわけなのだ。
中国から安い原料を
持ってきて、そこで
アメリカで製造して、
その製造した商品を
世界中に売るという、
このモデルが崩れる
のだ。
崩れるから1950年代
からレッドパージ、
アメリカのあの赤狩り
が始まるのだ。
ハリウッドとか文化業界
とか知識人業界で
「赤はどこにいる」
と言って、
赤狩りが始まったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

