どうも村田です

この本の焚書処分が
現代の日本にどのような
影響を与えているのか、
そしてもう一つが歴史の
空白はどうしたら
取り戻せるのか、
という2点についてだが
25年以上前、初めて
日本に来た際、
私は南部の常識ではなく、
アメリカ、とくに
ワシントンの常識が頭の
なかにあったのだ。
アメリカで受けた教育の
影響を受け、ワシントンが
行ったことはすべて正しい
と信じていたのだ。
どんな戦争や時代でも、
ワシントンの行動が
正しいと考えていたのだ。
日本に来て、もちろん日本
との戦争があったという
教育を受けたが、
実際に日本人とつき合う
うちに、教科書で教わった
悪魔のような所業で知られる
ナチスドイツのような
日本人像と、目の前の
日本人との違いを感じる
ようになったのだ。
日本語を少しずつ読める
ようになると、日本語で
書かれた資料を読むように
なり、
教科書で教わったことと
異なることが書かれている
ことに気づき、最初は
戸惑ったのだ。
何年間も、何が正しいのか
と混乱し、10年ほど
そのような状態が続いたのだ。
今振り返ると、歴史が奪われ、
フェイクヒストリーが教育
になった影響は非常に
大きな怒りの源となり、
だまされたという感覚を
抱いたのだ。
同時に、頑張っている
日本の研究者がいる。
日本に限らず、ほかの国
でも奪われた自分の歴史や
アイデンティティを
取り戻そうとしているのだ。
過去には嫌なことが多いが、
それを諦めるべきではない
と考えるのだ。
影響として、日本人の
アイデンティティが完全に
奪われたと思うのだ。
歴史だけでなく、
「日本的人間」
が削除されたのだ。
この世から意図的に削除
されたのは、ワシントンの
仕業であり、
日本国内の協力者も残念
ながらそれに加担した
ことは事実であるのだ。
その影響の大きさは
言葉では表せないのだ。
一つの民族がこの世から
消されたのだ。
しかし、それが最後ではなく、
取り戻すことは可能だと
考えているのだ。
これが答えになるかは
わからないが、今回の
テーマ本をはじめとして、
敵が狙っていた焚書を
まず読むことが重要だと
思うのだ。
もう一つ、これは非常に
南部的な考えで過激かも
しれないが、
私たちは北部が国に入って
きてから、しばらくの年月
を経ることにはなったものの、
最終的に追い出すことが
できたのだ。
多くの嫌なことがあったのだ。
80年が経過しても、敵は
依然としてこの国に存在
しているのだ。
米軍基地、すなわちアメリカ
の占領軍を一刻も早くこの
聖地から追い出すべきである
のだ。
これは暴力ではなく、
政治的な方法を用いて
米軍基地を撤退させ、
独立を果たすべきだと
考えているのだ。
その結果、日本文化という
非常に豊かな土壌から、
再び新たな花が咲くのでは
ないかと信じているのだ。
しかし、それが実現する
までには長く険しい道のり
が待っているであろう。
決して簡単なことではない
のだ。
まずは、だまされたという
怒りがあったのだ。
心のなかでその怒りを
抑えなければならなかったが、
その怒りをより
ポジティブな行動に
切り替えることが重要で
あるのだ。
そして、奪われた歴史を
1冊1冊読み、取り戻す
ことがその一環となって
いるのだ。
そうした取り組みが大切で
あると考えているのだ。
なるほど。
それは先ほどエマソンに
ついて話した内容と通じる
部分があるのだ。
つまり、アメリカの
教育思想を学んだ際には、
エマソンやデューイ
といった人物を取り上げる
ことが多いが、つまり、
アメリカというとその
北部に焦点が当たるのだ。
その一方で、この瞬間に、
実のところ、南部の歴史が
消されているというわけで
あるのだ。
同様に、日本もGHQによる
東京裁判を経て、戦後の
日本史が作られた瞬間に、
われわれは先生が指摘する
ような
「日本的人間ではない日本人」
というイメージが形成
されていったのだ。
そのイメージは、民主的で
自由を愛し、個性を尊重する
人物像であったが、
それはワシントンや北部の
イメージに基づく、人間
らしい人間としてわれわれが
馴らされようとしていたのだ。
これは、南部の人びとが
経験した書き換えと同じ
ことが日本で起こったもの
であり、
GHQによる焚書もその文脈の
なかで捉えなければならない
ということだと思われるのだ。
最後に、今後には長く険しい
道があるとの指摘があったが、
実はこの点については、
若干の温度差が存在している
のだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

