どうも村田です
昭和の初期なのだ
それと同時に、この
「ぼんやりとした不安」
はもちろん芥川龍之介
の言葉だが、
これがなぜ新聞の
一面を飾ったのか
ということが分かる
のだ。
今、文学者が死んで
何か言ったとしても、
新聞の一面を飾るか?
絶対ないではないのだ。
しかし逆に言うと、
当時新聞の一面を飾った
ということの意味が、
われわれがその不安感を
どこかしら共有していた
からということなのだ。
その不安感の共有を
芥川はこう言っている
のだ。
『或阿呆の一生』
という、彼が最後に
書いた小説の冒頭部分
なのだ。
「それはある本屋
の二階だった」、
このある本屋はもう
名前が分かっていて、
丸善なのだ。
丸善というのは洋書を
売っている場所で
大正期に最も売れた
本屋なのだ。
「ある本屋の二階だった。
二十歳の彼は書棚に
かけた西洋風の梯子
(はしご)を登り、
新しい本を探していた。
モオパスサン、ボオドレエル、
ストリンドベイリ、イプセン、
ショウ、トルストイ、…
そのうちには日の暮は
迫り出した。しかし
彼は熱心に本の背文字を
読み続けた。
(中略)
彼は薄暗がりと戦いながら、
彼らの名前を数えていった。」
つまり、西洋人の名前
を数えていったのだ。
「が、本はおのずから
もの憂い影の中に沈み
はじめた。
彼はとうとう根気も尽き、
西洋風の梯子(はしご)
を下りようとした。
すると傘のない電灯が一つ、
ちょうど彼の頭の上に突然
ぽかりと火をともした。
彼は梯子(はしご)の
上に佇(たたず)んだまま、
本の間に動いている店員や
客を見下ろした。
彼等は妙に小さかった。
のみならず、いかにも
見すぼらしかった。
『人生は一行の
ボオドレエルにも
若(し)かない。』
彼はしばらく梯子(はしご)
の上からこう云う彼らを
見渡していた…。」
これが彼の
『或阿呆の一生』
の冒頭なのだ。
何を言っているのか。
「人生は一行の
ボオドレエルに
若(し)かない」
というのが一番
分かりやすいかと思うが、
つまり日本人の、
「庶民の人生なんて
アリンコみたいなもんだ。
生まれては消えていく
泡のようなものだ。
なぜかというと簡単で、
ボードレールは永遠だろう」
と、私は永遠ではないと
思うが。
とはいえ100年、200年、
300年読まれるかも
しれないのだ。
「それに比べて私の
人生は、日本人の
人生は何」
と言っているわけなのだ。
だから
「人生はボオドレエルの
一行にも若(し)かない」
と、
若(し)かないという
のは追いつかないと
いうことだから、
「ボオドレエルの一行」
でさえないと言っている
わけなのだ。
そして見下ろすと、
そこにいたのは何か
というと、
みすぼらしい、妙に
小さい日本人なのだ。
「私は日本人として
生まれたし、日本語で
小説を書いている」、
だけれど教養は全部
西洋なのです。
「西洋的なものが価値だ
と思っていた。それで
やってきて今2階にいる。
そして2階の中で本を
バーッと見ている。パッと
見ると日本人たちが
みすぼらしく見える。
この現実に私たちは多分
分裂しているのだ」と、
彼は言いたいのだ。
つまり、もう戻って
いけないのだ。
下りて行く場所、
もう少し言うと自分の
肉体がある場所、
自分の居場所、生活、
日本を完全に見失って
しまった個人主義者、
そして個人主義者の
頭を見てみれば、
彼らはすべて教養主義
によって埋め尽くされて
いて、
その教養主義はもちろん
西洋の教養なのだ。
人ごとではないと思う
のだ。当時、
「デカンショ」
という言葉がはやり
デカンショとは何か
というと、旧制高校生が
皆読むものなのだ。
旧制高校生が読むものは
デカルト、カント、
ショーペンハウアーなのだ。
この3人の中に
1人でも日本人がいるか
というと、いないのだ。
それぐらい日本人は
日本を卑下していたのだ。
そこには学ぶべきものが
ないと思って、背を向け
たのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

