どうも村田です
ハリー・デクスター・ホワイト
がソ連中枢部の司令を受け、
その意図に従って行動し、
情報も流していた、
そこまでは確定しているのだ
ソ連が金保有国だったことも、
少し頭に入れておいたほうが
いいのだ
だからブレトンウッズでは、
ケインズは自分の国が
金保有国ではないということが
分かっていたから、
金をベースにしない新しい
通貨の形を、それがどういう
ものかは具体的には分からない
がそういうものを考えていた
節があるのだ
しかし、ブレトンウッズでは
2つの会議があり、1つの
会議はIMFを作る会議、
もう1つは世界銀行を作る
会議だが、
ハリー・デクスター・ホワイト
の方が最も重要なIMFの方の
議長になったのだ
そして、世界銀行の方、
世界銀行というのはいわゆる
国家的なプロジェクトを
finance(ファイナンス)
するだけの話であり、
世界金融のシステムとは
少し離れたところにあるのだ
世界銀行の方は名前が誤解を
生んでいるだけで、大した
力はないのだ
要するに脇役の方にケインズ
を追いやって、IMFを作り
上げたのは、このソビエトの
スパイだった男であるのは、
残念ながら厳然たる事実なのだ
おそらく、ケインズが考えて
いたのは今のSDRみたいなもの
なのだ
SDRとは、
Special Drawing Right
(スペシャル・ドローイング・
ライト)と言って、
今IMFが補完的に使っているが
その手の、何と言うか、非常に
conceptual(コンセプチュアル)
(概念化力)な
currency(カレンシー)(お金)
だったのだと思うのだ
ハルノートはここまでなのだ
次のクエスチョン3、
近衛、フランクリン・
ルーズヴェルト会談なのだ
日本側はここに期待をかけ、
近衛首相も期待をかけ、あるいは
イギリスやフランスの外交官
なども東京にいる外交官は
何とかうまく行ってほしいと
期待もかけていたのだ
近衛首相も相当な覚悟があって
やっていたのだが、あるいは
開戦経緯で言うと、いくつか
日米開戦を防ぐような水面下
のいろいろな工作もあったが、
結局うまくいかなかった
ということなのだ
ルーズヴェルト側からすれば、
また今からすれば、戦争を
始めたいのだから、ずっと
断ってきたということでは
ないかと思うのだ
これもやはり、非常に重要な
element(エレメント)
(要素)なのだ
アメリカの歴史の中では、
この問題は非常に重要な問題
として捉えられているのだ
近衛首相がルーズヴェルト、
いわゆる
Hull note(ハル・ノート)に
要求された条件、
つまり基本的には中国からの
全面撤退を丸のみする可能性が
あったと、おそらくそこまで考え
ていたのではないかというふうに
書いた歴史書は多いのだ
そうなったら困るのが
アメリカだったわけなのだ
何しろ近衛首相がそうではないか
というので、日本国内では
このために近衛暗殺案まであって、
「やるな」「妥協してしまう」と、
特に陸軍などは大反対をしていた
という情報もあるのだ
ただ、陸軍が反対していた
というのも少し歪曲されて
解釈されていると思うのだ
陸軍全体と言うよりは
陸軍の一部だと思うのだ
海軍の中にも当時は相当
勇ましいのがいたのだ
海軍第一委員会など、は
反対だったのかもしれないのだ
ともかく、近衛首相は大妥協する
のではないかと、そのぐらい
信ぴょう性があったと思って
受け止めていたということ
なのだ
保守の論客の中では、近衛首相は
特に尾崎秀実の関係や、わざわざ
京都大学まで行って共産主義を
一生懸命勉強したから
そういうその時代を見ると、
近衛首相を疑う人はたくさん
いたのだ
それから蒋介石を相手にせず
という話も、
日中戦争と日米開戦は
関係ないのだ
日米がどうなろうが、特に
ロンドンに空爆されて1941年4月、
5月の段階では、もう敗北確実
だというそのときにでさえ、
アメリカ国民はイギリスを
救うために若者を出すという
ことを考えてなかったのだ
仮にだが、中国でいかに日本が
悪いことをしていたとしても、
それによってアメリカが軍を
出すことはあり得ないのだ
もしもそうではないという、
要するに、日中戦争の泥沼が
日米戦争の原因だというような
議論が通るのであれば、
「アメリカのその世論を
どうやって説明するのか」
それから、
「イギリスが敗北確実のときの
アメリカの状況をどうやって
説明するのか」
という質問を投げかけること
によって、この問題は
はっきりしてくるのでは
ないかと思うのだ
日本側からの和平への誘いと
いうか、サミットを
ルーズヴェルト政権はずっと
断っていたのだ
ゆめ、妥協する気はなかったのだ
金正恩(キム・ジョンウン)は
まだ幸せだと思うのだ
直接交渉できたのだから
続きは次回だ
今日はこのくらにしといたる