どうも村田です

日本の正統を
熟考する
チャンスなのだ
少なくとも
「保守」
を自称する人たちは
議論しなければ
いけないのだ。
丸山眞男氏は
リベラルだが、
彼のような先人たち
はきちんと物事を
考えていたのだ。
その役割を、いまの
保守の人たちが受け
継がなければいけない
のだ。
三種の神器論だが、
実は調べてみると、
江戸時代になると
「やっぱり勾玉が
大事なのではないか」
という説が出てくる
らしいのだ。
平田篤胤
(ひらたあつたね)
が唱えた
平田神道などと結び
付いた思想のようだが
他にも剣(つるぎ) が
重要であるという意見
も近代になって出て
きたりしているのだ。
戦後の日本では、
「三種の神器って
いうのがあるらしいよ」
と軽い議論で終わって
しまい、
日本人にとっての
精神性とは何かと
いうことを常に
問い続ける文化は
途切れてしまったのだ。
剣としての防衛問題
がそうで
三島由紀夫が
『文化防衛論』
の中で、
菊(天皇)
と刀(武士道)
が戦後になって
分離されてしまった
と指摘しているのだ。
文化を守るのは
剣の役割なのだ。
文武両道という
言葉の通りなのだ。
確かに、剣を考えたら
日本国憲法の九条は
おかしいじゃないか
となるのだ。
それを変えるための
革命が必要だという
話になるかもしれない
のだ。
日本が核武装すべきか
どうかという問題に
しても同様なのだ。
雑誌
『表現者クライテリオン』
でそういう議論を
しているのだが、
もっと保守の方から
盛り上げていかないと
ダメなのだ。
『神皇正統記』
のような日本の重要
古典を読み解きながら、
今後も活発に議論
していきたいと
思うのだ
話は変わるが
橘孝三郎著
『日本愛国革新本義』
底本は1932年に建設社
より出版され、
戦後GHQによって
没収処分となったもの
なのだ
橘孝三郎氏は1893年
生まれであるのだ。
出生の翌1894年は
日清戦争が勃発した
年であったのだ。
出生地は水戸で、
同地において五本の
指に入る資産家の名家
橘家の出であったのだ。
橘家は現代においても
水戸の旧来の住民には
広く知られる名家であり、
その名を聞けば多くの
者が家柄を理解する
存在であるのだ。
なお、戦後の著名な
ジャーナリストである
立花隆は、水戸の橘家
の出身であるのだ。
田中角栄研究や
日本共産党研究など
多くの著作を著し、
出版・放送界で活躍
した人物であるのだ。
立花隆はペンネーム
であって本名は
橘隆志であり、
橘孝三郎(以下、橘氏)
と同じ「橘」姓である
のだ。
橘家は大資産家であった
が、旧家ではなく、
明治期に
橘氏の祖父が幕末維新の
混乱期に各地を流浪した
後、
水戸で商売を始めた
ことに起源をもつのだ。
祖父は紺屋、すなわち
染物業・藍染業を営み、
大成功を収めて巨財を
築いた家であるのだ。
橘氏は水戸の名家・
橘家に生まれ育ち、
裕福かつ恵まれた環境
のなかで成長したが、
道楽に流れることなく
勉学に励む人物であった
のだ。
小学校は現在の
水戸芸術館の所在地に
あった、
市内中心部の名門校を
卒業し、水戸の旧制
中学校を経て
旧制第一高等学校へ
進学したのだ。
旧制一高は東京帝国大学
の予科に相当し、現代の
教養課程にあたる
教育機関であり、
事実上東大生となった
ことを意味するのだ。
法科に進んで官僚や
政治家を志すという
方向性ではなく、
在学中から哲学や文学
に強い関心を抱いていた
というのだ。
橘氏は文学・哲学・
思想分野の研究を志して
旧制第一高等学校に在学
していたが、
当時の社会状況のなかで
現代文明の在り方や
自らの生きる時代の
正しさに疑問を抱き、
次第に深く思索する
ようになったのだ。
その精神的苦悩は
心身の不調を招き、
健康法を試みるも
改善せず、
ついに中途退学を
余儀なくされたのだ。
退学後は水戸に帰郷し、
時代や自己実現の方向に
ついてさらに思索を重ね、
結局は農業を始める
こととなったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

