どうも村田です
あれは紛れもなく
脳梅毒の進行まひ
症状だった」と、
内村博士は
おっしゃっていたのだ。
当時はまだ抗生物質
による治療法が完全に
確立されてはいなくて、
マラリア発熱療法という
荒療治で梅毒を完治させ、
大川は完全に正気を取り
戻したのだ。
精神的にも問題はなく、
大川は
「一刻も早く自分を
法廷に復帰させよ」
と主張したのだが、
連合国はそれを拒否した
のだ。
もしも大川周明を
法廷に出廷させたならば、
その弁論によって
東京裁判そのものが
ひっくり返されてしまう
のを恐れたのだ。
だから、大川周明は
戦犯の罪を逃れるために
仮病で精神病を装ったの
ではなく、
連合国があえて意図的に
彼を戦犯から外したのだ。
日本軍の真珠湾攻撃に
より日米戦争の火ぶたが
切られると、
大川周明はただちに
ラジオ放送を通じて
全国民の決起を呼びかけた
のだ。
彼のラジオ講演は、
間もなく
『米英東亜侵略史』
という単行本として出版され、
ベストセラーになったのだ。
彼はここに名実共に
大東亜戦争の理論的指導者
として、
日本を代表する論客の
1人になったのだ。
大川は27歳の時、
イギリス人コットンの書いた
『新印度』という本を読んで、
全身が打ちひしがれる
ような衝撃に襲われたのだ。
そこに記されていたのは、
イギリスのインド支配の
恐るべき実態なのだ。
著者のコットン自身が
イギリスの高級官僚として
長年植民地支配に携わって
きただけに、
彼が暴いたインドの人民の
悲惨な状態は、
微に入り細にわたっていた
のだ。
宗教学を専攻し、
インド哲学に沈潜していた
大川周明にとって、
心のふるさとである
インドがイギリスに
じゅうりんされ、
辱められているそのさまは
戦慄(せんりつ)すべき
もので、
イギリスに対する怒りが
こみ上げてきたのだ。
「アジアからイギリスの
勢力を一掃し、アジア諸国
の大同団結による
アジア人のアジアを実現
するんだ」、
これこそがまさに
大川周明が青年期から
一貫して抱き続けてきた
信念であって、
ライフワークのテーマ
だったのだ。
戦後の大川周明は、
脳梅毒を完治させて
正常に戻り、
敗戦の祖国の復興に
向けて精力的な活動に
没頭したのだ。
その驚異的な語学力を
駆使して、コーランの
翻訳に取り組んで、
昭和25年に完成したが、
このコーランの翻訳は
イスラム研究を志す
人たちにとって指南の星
として輝いているのだ。
アジアを愛し、アジア解放
のために生涯を捧げたこの
知の巨人の名前は、
今でもインド国民の胸に
日本の生んだ英雄として
さんぜんと生き続けて
いるのだ。
大川周明がかつて掲げた
大アジア主義の理想は、
日本の敗戦とともに
一時的に頓挫したかの
ように見えたが、今の
この現時点の世界状況に
おいてこそ、
大川の理想は不死鳥の
ごとくによみがえり、
再評価されるべき時期に
来ているのだ。
21世紀において、
大川の思想は今後とも
さらに強力な光を放って
輝き続けるだろう。
同様のことは、
石原莞爾(かんじ)
についても言え
石原がかつて満州に
かけた夢、五族協和、
王道楽土の理想は、
日本の敗戦とともに
ついえたのだ。
その生命、わずか13年、
満州国は見果てぬ夢に
終わったのだ。
しかし、戦後80年経って、
世界が先行き不透明な、
混沌たる情勢に覆われ
始めている
今日(こんにち)、
石原莞爾(かんじ)の
思想は再評価されるべき
時期に差し掛かって
いるのだ。
われわれが歴史を
学ぶのは何のためか。
アルバムを開いて
古い写真を見るように、
過去を振り返って
過去の懐かしい思い出
に浸るためだろうか。
もちろんそういった
側面もあるがしかし、
それだけではないのだ。
現在われわれが
生きているこの時代、
この瞬間が深刻な問題に
覆われていて、
それを解決する糸口が
なかなか見つからないで
いる時、
それを切り開く突破口を
見つけるためには、
歴史に学ぶ以外に
方法はないのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

