どうも村田です
石光真清【まきよ】
(陸士旧一一期))は、
明治から大正にかけて
シベリアや満州でのスパイ
活動に従事した日本陸軍の軍人
(最終階級陸軍少佐)であるのだ。
熊本市に生まれた石光は、
少年時代を神風連【しんぷうれん】
の乱や西南戦争などの動乱の中で
過ごし、陸軍幼年学校に入ったのだ。
石光は、中尉のときに日清戦争で
台湾に遠征したが、これを契機に
ロシア研究の必要を痛感して帰国。
一八九九年に黒龍江奥地の
ブラゴベシチェンスクに潜入し、
ロシア軍の動向についての
諜報活動を開始したのだ。
石光はその後、菊池正三という
偽名でハルビンに写真館を開いた
のだ。
石光の諜報活動は、 北部満州に
おけるロシア軍の動向を探ること
だったのだ。
石光は写真館経営で偽装しながら、
東清鉄道の写真をはじめ、
予想戦場の重要な地形・地物
(兵用地誌)や
ロシア軍の重要施 設を撮影し、
ネガをトランクや荷箱の内側に
密かに張り付けてウラジオストク
経由で参謀本部に送ったのだ。
石光のこのような業績は
「機密事項」であり、関係者以外
には知られていなかったのだ。
石光の業績が日の目を見るのは、
大東亜戦争後の一九五八年から
一九五九年にかけて、
石光が晩年に書き溜めた手記などを
もとに、長男の真人氏が 『城下の人 』
『曠野の花』 『望郷の歌』『誰のために』
(すべて中央公論新社)
の全四部作を上梓したことによるのだ。
真清は死期に臨んで手記や資料を
焼却しようとしたが、真人氏が
焼却を免れた手記を読み直し、
実際に父親から聞いた話からも
併せて整理し、丹念に書き留めた
ものがこの四部作であるのだ。
諜報に関することは墓場まで
持っていくのが通例であるが、
真人氏の機転で、
ロシア帝国陸軍に対する参謀本部
(石光)の諜報活動の一端が世に
出ることとなったのだ。
『曠野の花』には、日本から満州に
売られた女郎たちとの交流が描かれて
いるのだ。
当時、 シベリア鉄道の敷設や旅順港に
軍事基地を建設するために多数の
日本人労働者が働いていたのだ。
そういう労働物に欠かせないのが
酒屋や薬屋、そして女郎たちである
のだ。
長崎の島原半島や熊本の天草諸島
から売られた女性が多かったと
いうのだ。
名もなき女郎たちだが、いずれも
満州の荒野の中で数奇な運命に
弄ばれながらも、逞しく生きる
女性たちだったのだ。
彼女たちは異郷の満州にあって、
身は女郎や馬賊の妾にやつしても、
日本人としての矜持を失わない
健気さがあったのだ。
石光は、これら不運な女性たちを
同じ日本人として慈しみ、一方で、
彼女たちから度々危機を救われた
のだ。
例えば、馬賊の頭目の妾になった
お花は、石光がスパイであることを
知りつつも何も言わず、情報収集
などに協力してくれたのだ。
お花は
「馬賊は泥棒ではなく満州の旅の
安全を保障する警備保障組織です。
広い満州では筋を立てて馬賊に頼めば、
警察より確実に保護をしてくれます」
と石光に述べたというのだ。
また同様に、別の馬賊の頭目の妾
だったお君も、主人である増、
番頭の趙と共に石光に協力して
くれたのだ。
馬賊が日本人の石光に親近感を
寄せたのは、彼らがロシアの
満州進出を切実な脅威と
みなしていたからであるのだ。
ロシアを共通の敵とする日本人と
満満州人は同じアジア人としての
連帯感を持っていたのだろう。
ロシアのコサック兵による襲撃で
着の身着のまま逃げ出した三人の
日本人女郎
お豊、お槇、お米の人生も壮絶なのだ。
石光は、コサック兵の襲撃を逃れて、
放浪の果てに絶望し、廃屋の中で
死を待つ三人を助け、
同道していたが、齟齬により
離れ離れになってしまったのだ。
その後、石光がロシア軍の朝鮮人
スパイに間違えられて馬賊に
捕らえられた際に、
石光を救ったのは、行方不明に
なっていたお米
馬賊の頭目の妾になっていた
だったのだ。
石光は、馬賊からお米を貰い受け、
ウラジオストクから日本に帰国
させることにしたのだ。
二人はウラジオストックを目指して
満州の荒野を歩き続けたのだ。
零下三〇度の極寒の中でもお米は
弱音を吐くことはなかったのだ。
お米は、自分が石光の重荷になる
ことを懸念し始め
「手足まといになって申し訳
ございません。私を置いて行って
ください」と言うようになったのだ。
ある夜、極寒の月明かりもない暗黒
の中、石光は薪を拾おうとお米を置いて
焚火の場所から離れたのだ。
石光がお米の元に戻ろうとしたら
焚火は消えていたのだ。
お米は石光が薪拾いをしている
隙に、密林の闇の中に消えたの
だったのだ。
「中村天風(「心身統一法」の創始者)
のところでも書いたが、 満州や支那に
潜入した日本軍の軍事密偵・諜報員に
とって、
信頼できる情報源となり、支援協力を
惜しまない数少ない日本人・同胞は、
それが女郎であれ何であれ貴重な存在
だったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる