どうも村田です

次に
なぜ戦死者とつながる
のか。生命のたすきと
祖国の物語として
戦死者とつながり
やすくなっている
これを幾つかの事例から
考えてきたのだ。
知覧という場所、
それから遺書。
人や知識や歴史認識を
媒介とせずに、直接
戦死者とつながる感覚が
得られるものなのだ。
これをより多くの人に
共有できる物語として、
創作特攻文学
というジャンルがここ
30年発展してきたと
いう話もしたのだ。
逆に考えてみると、戦後の
日本社会というのは戦争で
亡くなった人たち、
戦死者がどういう思いで
戦ったのかとか、あるいは
特攻隊員が
どういう思いで戦闘機に
乗って出撃したのか
ということはあまり考えず、
悲惨な戦争の象徴、
あるいは犠牲者という
形で扱ってきたのだ。
ところが実際は戦争
というのはもちろん
そこに動員されて、
戦地に行って命を
落としたというところ
を見ると、
犠牲という面とか、
あるいは戦争の評価で
もって、
実は侵略的な要素とか
加害的な要素というのが
戦後言われるように
なったから、
割ともう戦争について
少しでも肯定的なことを
語ったり、
そういった事例を取り
上げたりすることを
できるだけやらないよう
にしようとしてきたのだ。
そんな中で、実は戦争の
中ですごく大事なことが
伝わってないのではないか、
それは歴史の教科書とか、
あるいは報道ではあまり
扱われない、
いえ、そこは一切
扱わないようにして
きたけれども、
エンタメの分野では
それがかろうじて残って
いるのではないのかとも
思えるわけなのだ。
これが、つまりエンタメ
作品の中に、実は大事な
物語とか
大事な伝えるべきこと
というのが閉じ込められて
きたのではないかとも
言えるわけなのだ。
創作特攻文学というのは、
取り上げたのはほんの
一部だが、たくさんある
のだ。
たくさんあるのだが、
社会全体から見ると、
それはやはり1つの
創作の狭い世界の中に
閉じ込められてきた
とも言えるわけなのだ。
それを解凍する、
溶かして読み解いて、
この中に何か大事な
メッセージとか、
今の社会、これから
生きていく人たちに
伝えるべきことがある
のではないのか、
そういう読み方をして
みたらどうかというのが
創作特攻文学の想像力で
言いたかったことなのだ。
なぜ戦死者とつながる
のかという話を考える
時に、この
『未来の戦死に向き
合うためのノート』
で提起した問題、
そこに立ち戻ってみると、
戦死者の宙づりという
未解決の問題があるのだ。
宙づりというのは、
社会の中に戦死者の居場所
というか、
ここできちんと戦死者を
位置付けて然るべき扱いを
していくということを戦後
の日本はしてこなかったのだ。
例えば過去の戦死者に
ついては靖国問題という、
よくご存知の問題、
すぐそちらの問題に
なってしまうのだ。
靖国神社に過去の戦死者は
お祀りされているわけだが、
そこに、
例えば天皇がお参り
できなくなったのだ。
それはA級戦犯が合祀
されているからだとか、
あるいは
総理大臣が靖国神社に
参拝すると、近隣諸国から
抗議があるために
堂々と行けなくなって
しまったとか、ご存知の
問題があるのだ
過去の戦死者がお祀り
されている靖国神社に
日本の国を代表する、
者が
天皇が参拝できなく
なっている、これが
一番大きな宙づり問題
であるのだ。
宙づり問題がずっと
続いているということ
なのだ。
それから。その問題が
続いているのは、靖国神社
にすべてを集約させようと
するからであって、
靖国とは別に国営の
慰霊追悼施設を造るべき
ではないか、
そういう国営施設構想
というのも時々政府の
中から出てくるのだ。
きちんとした国立の施設
を作って、総理大臣や
天皇や、それから外国の
要人も、
どこからも抗議が出て
こないような形でお参り
できる場所を作りたい
ということだと思うのだが、
後でそれとは違うアイディア
を言おうと思うけれど、
それもやはり宙づりに
なっているからなのだ。
宙づりになっているから、
社会の中に戦死者の居場所
をきちんと作ろうという、
意図としてはそういう
ことなのだ。
それが靖国神社か、
それともそれとは別の
国立の施設なのか、
そこでせめぎ合いがある
わけなのだ。
どんな立場の人でも、
誰も戦死者を宙づりに
していいとは思って
いないのだ。
それは右でも左でも
同じだと思うのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

