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すぐさまなんじゃ

どうも村田です

ここで注目したいのは、

日本を救った先見性と

決断力の1つに、

よく歴史の言葉として、

「欧州情勢は複雑怪奇なり」

ということで、

平沼騏一郎首相が、

1939年の5月、政権を

投げ出したのだ。

ノモンハン事件で戦った

ソ連が、実は不倶戴天の

敵だったはずのソ連と

ドイツが不可侵条約を

結んだ、

「一体ヨーロッパの情勢

はどうなっているのだ。

理解不能だ」

ということで首相を辞任

してしまうのだが、その

ソ連情報あるいは

ドイツ情報を正しく、

日本が身の丈にあった

自前の情報を取るために、

樋口さんが情報部長

として行ったのは、

自分の信頼できる部下、

しかも優秀なロシア語使い

たちをちょうどバルト

海沿岸の諸国に配置するのだ。

これがゆくゆくは、

日本の優秀な対ロ諜報網

を形づくるわけなのだ。

それを、見ていたのが

ドイツのSiPo(ズィポ)

という国家警察の報告書

にあるのだが、

まず、参謀本部第2部長

時代の部下であった

小野寺信(まこと)を、

ロシア課の部下だった

小野寺信(まこと)を

ストックホルムに赴任

させるのだ。

それから、ハルビン時代

の腹心だった、

ハルビン時代というのは、

ユダヤ人難民を救済した

ころなのだが、そのころの

腹心だった小野打寛さんは

ヘルシンキに、

そして実は、外交官だった

のだが、満州時代、満州の

外交官も務めていた時代から、

陸軍の諜報活動の一端

を担っていた杉原千畝を

カウナスに当てたのだ。

こういった形でそのほか

にも、ここには名前を

挙げないが、

そのほかのロシアの

インテリジェンスに強い

外交官や、それから武官を、

バルト海の沿岸の外交官

などに赴任させるのだ。

そしてできたのが、

小野寺たちが行ったのが、

ポーランドやバルト3国の

情報士官に対して、

それぞれの勤務先で、

物心で支援をして、

それから協力をする、

その返礼として機密情報

を貰うという

ギブアンドテイクを

やったのだ。

その最後の返礼として

小野寺がストックホルム

でもらったのが、

ソ連が対日参戦してくると、

本来は平和条約と言うか、

日ソ中立条約があって、

破棄をソ連が申し立てても

あと1年は形としては有効

だったと言うような

日ソ中立条約がありながら

ソ連が参戦してくるという

ヤルタ密約、

このヤルタ密約という

機密情報を、ポーランドの

亡命政府からもらうのだ。

そして参謀本部に伝える

という、こういうことに

つながってくるわけなのだ。

そして SiPo(ズィポ)

という、これは1941年の

8月に

リッベントロップ外相が

作った報告書でそれは、

一部分だけをピックアップ

すると、

「日本のヨーロッパに

おけるインテリジェンスは、

東部門と西部門に分かれて

いる。

東部門はロシアが対象だ。

西部門はドイツ、イギリス、

フランスである。

そしてイースタンセクション、

東部門の長はストックホルム

の陸軍武官の小野寺信

(まこと)大佐である」

ということなのだ。

その下に、これが書いて

あるのだが、その補佐する

役割として

ヘルシンキの小野打さん、

それからケーニヒスベルク、

杉原さんは、カウナスで

ユダヤ人に命のビザを

出した後、

今カリーニングラードと

言われているロシアの

飛び地があるのだが、

これはドイツのケーニヒス

ベルクだったのだ。

そこのケーニヒスベルク

に移っていった時なのだ。

ケーニヒスベルクに

杉原がいると、そして

リガのポストは1940年に

閉じられたのだ。

こういうように、

小野寺、小野打、杉原

というように、ドイツの

国家機関が把握していた

ということなのだ。

何をした人なのかというと、

やはりスターリンの野望を

見抜いて、

独断で自衛戦決断をしたと、

では具体的にどんなこと

だったのかと言えば

1945年の8月10日、

ヤルタ密約に基づいて

ソ連がやはり対日参戦

してくるのだ。

ところがポツダム宣言を

日本は受諾して、日本は

降伏するわけなのだ。

15日にそれを受諾すると、

受け入れるというような

終戦の詔書を天皇が読まれて、

事実上、日本としては

これで終戦だということで、

ポツダム宣言に基づいて、

連合軍と、これは戦争を

しないというようなことを

取り決めたはずだったのだ。

けれども、その2日後の

17日に深夜、事実上

18日の未明なのだが、

ここでは17日と書いて

いるのだ。

18日の未明に千島列島の

北端の占守島に、ソ連軍が

上陸してくるのだ。

侵攻してくるのだ

当時、北の守り、北方の

第5方面軍の司令官として

指揮していた樋口は、

即刻ソ連軍に対して17日

「断固反撃に転じて

上流軍を粉砕せよ」と、

独断で、大本営の許可を

得ないで、独断で決断を

して、迅速な徹底抗戦を

命じているのだ。

すぐさまなのだ。

ここが大事なのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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