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影響力があるんじゃ

どうも村田です

福島は夏の間に一気に

シベリアの半分ほどを横断し、

九月二四日には日本人

として初めて外蒙古に入った

のだ。

かつて草原を支配した

蒙古民族も、今は清国の

支配下にあったが、

眠るが如き清国政府は

かかる辺境には無関心で、

国防の配慮も乏しかったのだ。

それとは対照的に、帝政

ロシアの経済的、軍事的

影響が強まりつつあったのだ。

そのような状況を目の

当たりにし、福島は、

ロシアは必ずこの外蒙古を

手中に収めるであろうと

予測したのだ。

事実、二〇年後の辛亥革命で

清朝が崩壊すると、ロシアは

外蒙古を勢力下に収めている

のだ。

福島は、

「ロシアは、外蒙古の次は満州、

朝鮮、そして我が日本に

向かってくるであろう」と

思ったのだ。

寒さの厳しい高原を、福島は

馬の背に揺られながら、祖国に

迫るロシアの脅威を案じ続けたのだ。

福島は、約二か月かけて

外蒙古を横断すると、再び

北上してロシア領に入り、

バイカル湖に到着したのだ。

シベリア鉄道の工事がまだ

ここまでは達していないことを

確認したのだ。

ベルリンを出発してちょうど

一年が経過した一八九三年

二月一一日(紀元節)、

福島は今までの旅が無事で

あったことを神に感謝したが、

この日、馬から氷上に転落し、

頭部に深い傷を負ったのだ。

五日間、農家で療養した後、

再び東に向かい、三月二〇日

には氷結していたアムール河

を渡って満州に入ったのだ。

四月一八日、福島は吉林の

手前で風土病にかかり、

一八日間も田舎の宿で床に

伏したままだったのだ。

祖国まであと一〇〇〇キロ

あまりのところまで来たのに、

こんな田舎で果ててなるものか

と治療につとめ、

五月七日には再び出発できる

ほどまでに体力が回復したのだ。

六月一二日、福島はついに

ウラジオストクに到着したのだ。

出発からちょうど一年四カ月で

一万四〇〇〇キロメートルを

踏破し、見事にユーラシア大陸

横断を果たしたのだ。

大勢の日本人が万歳で出迎えた

のだ。

到着の知らせは国内外に伝わり、

世界中の新聞が世紀の壮挙と

大きく報道したのだ。

福島はウラジオストクから

三頭の愛馬とともに、東京丸

で日本に向かったのだ。

六月二九日午後、横浜港に着くと、

児玉源太郎陸軍次官や家族が

出迎えてくれたのだ。

さらに福島を驚かせたのは、

明治天皇から差し遣わされた

侍従が「天皇陛下より賜る」

と言って、

暖かいねぎらいの言葉と

ともに勲三等旭日重光章を

授与したことだったのだ。

七月七日には皇居で明治天皇に

御陪食を賜ったのだ。

乗馬を好まれる陛下は、福島が

三頭の馬を東京まで連れ帰った

と聞かれると、

「それは良いことをした。

福島はまことの騎兵将校じゃ」

と喜ばれたのだ。

明治天皇の御沙汰で、

三頭の馬は上野動物園で

余生を送ることとなったのだ。

この福島の壮挙から

一一年後に日露戦争が始まった

のだ。

福島は大山巌大将率いる満州軍の

児玉源太郎総参謀長のもとで

高級参謀(情報担当)として、

ロシア軍の情報収集はもとより

ロシア軍兵站基地や司令部の襲撃、

さらには東清鉄道の鉄橋爆破など

ロシア軍の背後に対する諸工作を

続けたのだ。

日露戦争は薄氷を踏むような

勝利だったが、福島の的確な

情報分析が大きな力を発揮した

ことは論を待たないだろう。

明治時代の歌人・落合直文の

作詞による

「波瀾【ポーランド】懐古」

という軍歌があるのだ。

これは、福島のシベリア横断

の歌として愛唱されたのだ。

その歌詞を紹介したいのだ

一日二日は晴れたれど

三日四日五日は雨に風

道の悪しさに乗る駒も

踏み煩いぬ野路山路

雪こそ降らぬ冴えかかる

嵐やいかに寒からん

氷こそ張れこの朝

霜こそ起けれこの夕べ

ドイツの国も過ぎ行きて

ロシアの境に入りにしが

寒さはいよよ勝りつつ

降らぬ日も無し雪霰【ゆきあられ】

寂しき里に出でたれば

ここはいずこと訊ねしに

聞くも哀れやその昔

亡ぼされるポーランド

ロシア革命後の混乱の中、

シベリアに出兵していた

日本陸軍は、同地で苦境に

陥っていた

ポーランド人革命家の孤児

七六五人を、二回にわたって

救出したのだ。

この日本政府・陸軍の英断は、

軍歌の「波蘭懐古」に

込められた国を失った

ポーランドへの同情から

発したものではないだろうか。

歌には、人間の感情を

刺激するほどの大きな

影響力があるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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