どうも村田です
マスコミの言ったことや
物事にとらわれないで
素直に素直に考えてみると
「あれ?」ということが
必ずあるはずなのだ
こういう視点を
忘れないようにするのだ
日本は思想的な分断
だけではなく、地理的な
分断統治にも苦しんで
いるのだ
例えば北方領土なのだ
北方領土が決まったのは
ヤルタ会談だったが、
参加していたのは
スターリンと同時に
ルーズベルトとチャーチル
なのだ
彼らはここで北方領土を
取ることを了解していた
のだ。
日本政府は戦後、歯舞、色丹の
二島返還によってソ連との
領土問題を解決しようと思って、
鳩山一郎政権における
重光葵外務大臣がソ連と
交渉したのだが
「二島返還など認めない、もし
国後、択捉をあきらめるなら、
沖縄に対する日本の潜在主権は
保証しない」
と言って日本政府を恫喝
したのは当時の
アイゼンハワー政権における
ダレス国務長官なのだ
このダレス国務長官の弟の
アレン・ダレスは同じ政権で
CIAの長官を務めていたわけだが、
こういうことがあったのだ
日本が二島返還論、四島返還論が
必ず対立するのだが、この対立
自体がそもそもわれわれの
100%の意志であればいいが、
どこかの国の意志が入ってないか、
ということをまず考えましょう
ということなのだ
当然こちらとしては、四島が
返ってくればいいが、
段階として二島論というのは
あってもいいと思うのだ
いずれは四島返して
もらわなければいけない、
樺太島も返せと思ってるのだ
だがこの二島返還で進めると
アメリカが恫喝してこの交渉
自体をつぶしてしまう
これは重光外相がやってきた
以降もずっと続いてきたのだ。
必ず二島返還論と四島返還論で
もめて、この論争が何度も
続いてきたのだ。
またヤルタ会談のときに
いたのはルーズベルトと
チャーチルであったという話
なのだ
次が竹島なのだ
昭和27年1月18日に突然
李承晩ラインが引かれ
これは反日である韓国大統領、
李承晩が引いたラインなのだ
当時はまだサンフランシスコ
講和条約が発効前であり、
つまり日本はアメリカによる
被占領状態だったのだ。
アメリカの属国のような
状態で、完全なる被占領国
なのだ
そこにアメリカの
バックアップでしか
大統領になれなかった
李承晩がワシントンに
一切気付かれないまま、
ただ日本が憎いという
ことだけで
勝手に当時アメリカの領土でも
ある竹島にラインを引いて
「俺のものだ」
とはたして言い得たのか
ということなのだ
結局アメリカはこの問題の
解決にあえて積極介入
しなかった結果、
竹島は今、日韓関係に
おける最大の懸案事項の
1つとなり、ずっと
このことでもめてるのだ
実際に李承晩大統領の
特別補佐役である側近の
1人は、CIAのアメリカ人
秘密工作員だった
ということが最近韓国の
マスコミで明らかになった
のだ
やはりそこにもアメリカの
影があったのだ
アメリカが占領している
所に勝手に違う国がきて
「ここは俺の領土だ」
と言えばアメリカは許す
わけがないはずだが、
アメリカはそれを
黙認しているという
わけなのだ
実際に日本陸軍で高木中尉と
言われていた朴正煕大統領は、
1965年にアメリカの国務長官に
対して
「小さなことだとはいえ、
腹が立つ問題の1つが竹島問題。
解決の問題のため、島を
爆破したい」
と言ったぐらいに
朴正煕大統領をも
悩ませた問題なのだ
実際に、竹島周辺で何千人もの
日本人の漁民が韓国に拿捕されて、
その内40人以上が殺されているか
死んでいるのだ
実際に島根県の漁民は竹島で
拿捕されて火あぶりで
拷問されたようなのだ
こういうことを、多くの
日本人が戦後、韓国の
李承晩によってかなり
拷問を受けたいうこと、
これをわれわれは忘れて
いていいのかと、
慰安婦問題で謝れ謝らない
とか言っていていいのかと
という話なのだ
こういうことに目をつむって、
もしくは知らないままに
韓国の言い分も聞いてやろう
なんていうから相手が
余計につけあがるのだ
やはりこういう歴史が
しっかりあるということを
見せて
「ふざけるな、冗談じゃない」
とガツンと言うということ、
絶対にこれは必要なのだ
いつまでも相手の言うことを
へこへこ聞いているから
つけあがられてしまう、
これは確実にあるのだ
別に日韓関係の問題に
さらに火を注ごうという
気は全くないのだが、
これは明らかに間違っている
ことであるのだ
しかしその背後には当然
海の向こうの大国の意思も
働いていたことは間違いない
だろうと思うのだ
もう1つが尖閣諸島なのだ
1967年国連のECAFEという
海洋調査チームが調べた所、
尖閣諸島の地下に膨大な
兆単位の石油資源が
眠っている
ということで、これを最初に
狙ったのが米系の石油会社
だったのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる