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7つの項目なんじゃ

どうも村田です

共同謀議に参加した

とされる容疑者

すべてを裁判の対象、

被告とすることが

できるわけなのだ。

それに加えて、通常の

戦時国際法違反に当たる

捕虜虐待等の罪、

もう1つ、ナチスドイツ

の前例を見て、人道上の

罪という条項を付け加える

ことにするのだ。

平和に対する罪

というのは、全く

この条例において初めて

作られた罪名なのだ。

東京裁判の被告たちが

大東亜戦争の遂行に

参加したときには、

このような罪名はどこの

国の法廷にもなかったのだ。

だから、この罪名を

適用しようとすれば、

それはいわゆる事後法

になるのだ。

犯罪行為の後で、

その行為を罰する法律を

作って、それで裁く

ということ

これは法治国をもって

任ずる文明国では決して

してはならないことであり、

実際そんな例はないのだ。

この1点だけをとって

考えただけでも、

東京裁判というのは

事後法による裁きなので

あるから、すなわち裁判と

呼べるようなものではない、

米国が戦争を通じて

日本から受けた損害の

復讐(ふくしゅう)を

企んだ、

そして企んで無理に裁判

の形式をとっただけの

復讐(ふくしゅう)の

儀式にすぎないという

ことが明らかなのだ。

これはやがて、

東京裁判の批判が起こり

始めた時に、

「単なる復讐の儀式だ」

ということも随分人の

口に上ったわけなのだ。

このことは、昭和21年の

5月に東京の市ヶ谷台上の

法廷で裁判が始まった時、

既に指摘されていたのだ。

それは開廷4日目の5月13日

という早い時期のことで

あったが、

この東京裁判の被告側の

弁護団の副団長であった

清瀬一郎弁護人から

裁判書の管轄権に対する

疑念、提出という形で出て

いるのだ。

すなわち、この裁判は

事後法の適用という

文明の法理に真っ向から

違反する裁判である、

その抗議なのだ。

だから、この裁判長には、

そもそもこの裁判を行う

権利がないという、その

抗議であるのだ。

この抗議に対して、

アメリカの人の首席検事

になる、ジョセフ・

キーナンの反論があるのだ。

そのキーナンの反論の

論理自体が、この裁判の

性格をよく言い表している

のであり、

すなわちこういうこと

なのだ。

すなわち、

「裁判の管轄権の問題

というのは、しょせん

法律論議にすぎない。

侵略戦争を起こした国の

残虐行為を、法律論を

もとにして考えると

処罰できないというのは

理屈が通らない」

というその論理なのだ。

そして、この論理を枕と

してジョセフ・キーナンは

長大な論議を展開するわけ

なのだ。

そしてその結果だけを言うと、

検察側は法理的には成立

しないことを承知のうえで、

侵略戦争という蛮行に

対する処罰を強行するのだ

という、

まことに戦闘的な意志

むき出しの宣言なのだ。

結局この裁判は、最後まで

検察側のこの露骨な処罰

への意志という、

非常に強い意志によって

続けられていくわけなのだ。

このほかにも触れておきたい

エピソードは数々あるが、

それらは全部省略して、

東條英機被告の言論のこと

についてだけ今回は触れて

おくことにするのだ。

それは、裁判が2年目に

入った昭和23年の、暮れの

12月26日から明けて

昭和23年の1月7日までの間に、

8回行われた被告の個人弁護

立証の段階で行われているのだ。

その個人立証は、まず

清瀬一郎弁護人の冒頭陳述

で始まり、

清瀬さんは、そこで7項目の

重要項目を説明しているのだ。

第1に、

「日本は米、英、オランダ

に対する戦争を自分から

計画し、準備した事実はない」。

第2に、

「日本の戦争は、これら

諸国の挑発に直面して、

自存自衛のためにやむを得ず

立ち上がったものである」。

第3に、

「日本政府は、合法的な

開戦通告と攻撃開始より

前に米国に交付すべき

周到な準備を整えていた」。

これは、パール・ハーバーの

通告攻撃に対する反論のうちに

入るが、

主として第4に、

大東亜政策の意義について、

つまり日本が大東亜戦争

という名の戦争を行った、

その意義についてなのだ。

それから、これも検察側が

しきりに申していた、

いわゆる軍閥なるものは

存在しなかったことなのだ。

軍閥の跳梁(ちょうりょう)

がこの戦争を引き返すことの

できないものにしたのだという、

その論に対しての

反駁(はんばく)で

あるのだ。

それから

第6として、統帥権独立の

問題なのだ。

これは大変重要な

憲法問題であるのだ。

それから東條個人についてで

第7に、東條が指導した

軍政の特徴、

東條という人は非常に規律

と統制について厳しかった

ということを言おうとする、

その7つの項目なのだ。

こういう前書きがあり、

そこから本人の証言に

入るわけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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