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説得するんじゃ

どうも村田です

天皇主権説は表で

教えられているが、

裏では天皇機関説が

教えられるのだ

天皇機関説を教えて

いたのは2人で、

有名なのは美濃部達吉

が一番有名なのだ。

ここでさっと言うと、

天皇機関説をずっと

主張していて、

大正デモクラシーの

代表的理論家となって、

かつ弟子に8.15革命説を

唱えた宮澤俊義がいたのだ。

この宮澤俊義は戦後の

憲法学の圧倒的権威に

なるのだ。

つまり世俗的な、

ある意味法学者たちが

天皇機関説側に来る

わけなのだ。

彼らは何を言って

いるかというと、

「主権は天皇じゃない。

国家にこそあるんだ。

そして天皇はその

最高機関でしかない。

だから憲法の中に

取り込まれているから

立憲君主制、

つまり天皇でさえ憲法

には歯向かえませんよね」

という話をするのだ。

これが全然違うのは

分かると思うのだ。

つまり祭政一致と

立憲君主制が全然

違うわけなのだ。

祭政一致と立憲君主制が

ずっと両輪であるのだ。

そして天皇主権説は

どこで教えられているか

というと

初等中等教育なのだが、

天皇機関説は高等教育、

旧制高校、大学なのだ。

そうすると官僚の常識は

天皇機関説なのだ。

そして官僚試験は

もちろん当時もある

けれど、

官僚試験で答えなさい

と言った時のペーパーは

天皇機関説で出される

のだ。

天皇機関説で丸なのだ。

だから天皇機関説で

育てられた人が政府の

中枢に入っていって、

民衆は天皇主権説、つまり

現人神(あらひとがみ)

を教えられるわけなのだ。

簡単に言うとエリートの

機関説、つまり近代的

システムが、

庶民が生きている主権説、

庶民が生きている

ある種の宗教性を抑圧

していく

という形の二重性で

近代日本は動いていく

ことになるのだ。

ただ、ここが最終的に

一番重要なポイント

なのだが、

唯一官僚の中で

天皇機関説を取ってない

部分があるのだ。

どこかというと軍部

なのだ。

軍部はさすがに死ぬと

いうことが重要になって

くるので、

どんな計画でもどんな

戦略でも死ぬので、

何のために死ぬのか

という宗教性が

どうしても必要に

なるわけなのだ。

その時に天皇機関説を

取らないのだ。

久野さんという

左の人なのだが、

面白い論文があって、

その中でこういうことを

言っているのだ。

「軍部だけは、密教の

中で顕教を固守しつづけ」、

つまり顕教、

天皇主権説だが、

これを固守し続けて

「初等教育をあずかる

文部省をしたがえ、

やがて顕教

(天皇主権説)による

密教(天皇機関説)征伐、

すなわち

国体明徴運動を開始し、

伊藤の作った明治国家

のシステムは最後は

メチャクチャに

してしまった。」

「昭和の超国家主義

(超世俗主義)が

舞台の正面に躍り出る

機会をつかむまでには、

軍部による密教生活が

開始され、顕教によって

教育された

国民大衆がマスとして

目ざまされ、天皇機関説

のインテリくささに反発し、

この征伐に動員される

時を待たねばならなかった」

つまり、

圧倒的な危機の時に

軍部が顕教を、

天皇主権を持ってきて、

そもそもそうやって

教育されてきた

大衆たちを引き連れて

一気に空気を作ったわけ

なのだ。

これがいつなのか

というと、もちろん

昭和なのだ。

後でなぜ昭和だったのか

を少し見ておきたいと

思うが、

軽く言っておくと、

ではその矛盾、つまり

密教と顕教、

天皇主権説と天皇機関説

がずっと二重にありながら、

その矛盾が出て

こなかったということ

の意味は、

こういうふうに

解釈できるのだ。

まず明治期は

明治天皇が圧倒的な

権威であり、説得力を

持つわけなのだ。

そうすると、顕教と

密教の分裂を天皇自身

の歴史的な、

あるいは身体的説得力

でカバーしていくのだ。

「明治天皇はやはり

神だ。でも今、

目の前に実際に

いらっしゃる。

実際にいらっしゃる

ということが現実だ。

でも現実であっても神だ」

ということを異様な

説得力で彼自身が説得

するのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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