どうも村田です
相手は「いける。勝てる」
と思って侵略してくるのだ
どんなにきれいごとを
言っても、もし砂漠の中で
私と2~3名しか一緒に
生きていなかったら、
「どうぞあなたたち生きて
ください。私は我慢
しますから」と言って、
私は食料を全部皆さんに
あげることはできるか?
難しいと思うのだ。
その時は、みんなそれぞれが
「私が生きればこれができる。
あなたよりも私が生きた方
がいい」という理由ができる
と思うのだ。
本能的に私たちは、本来は
自分が生きるということに
対しては正当性を持つのだ
しかし、生きている時は、
生きていることをありがたい
と思っていないのだ
聞くところによると、
岸田内閣は安倍元首相が
やり出した安全保障の
さまざまなことを継承して、
そしてそれを着実にやって
いるように見えたけれども、
ここに来て少し停滞している
ような感じがするのだ
例えば、人権問題に対して、
日本が初めて岸田内閣で
人権担当補佐官を任命したのだ。
しかし、その後、の内閣改造
ではそれをまた廃止したのだ。
日本が初めて人権担当補佐官を
任命した時、世界的に話題に
なったのだ
世界的に評価されたのだ。
しかし、なぜ今回それを廃止
したか、もしこれが特定の
国に対しての配慮であると
すれば大きな間違いなのだ
特定の国というよりも、
はっきり言って
「中国に対して」
ということなのだ
今は内閣の支持率が低迷である
とか、そういうことで何とか
して首脳会談を中国とやろうと
しているのだ。
中国も今、国内状況が極めて
悪く経済が悪いのだ
安全問題についても、いろいろ
問題が出てきているのだ。
そして、中国は一帯一路も
失敗して、実際、あそこから
撤退している国も出てるのだ
そういうことで、向こうは
「今こそまた助けてもらいたい」
と思っていて、
かつて天安門事件の時に日本が
一番最初に助けたから、ある
意味で中国の民主化のチャンス
を失ったのだ
今、また再び日本がそのような
ことをやったら、これは世界に
対して、ある意味で私は犯罪だ
と思うのだ。
犯罪者に協力することは、ある
意味で共犯者で、だから、国を
守る、チベットと同じように
ならないためには、
自分たち自ら国を守るという
意識を国民一人一人が持つこと
と、その国のありがたさ、
国とは何かという概念を
持たないといけないのだ。
まだ地球が一つの世界に
なっていないのだ
人類が一つの政府の下
にいないのだ。
国境の中で、私たちそれぞれが
出している税金の使い方により、
私たちの生活が左右されている、
1つの主権の中で生活している、
こういうことを考えれば、
チベットみたいにならなくて
済むと思うのだ
チベット仏教では、ほとんど
来世まで、あるいは
「生き物はみんな同じだ」
というようなことを安易に
考えて平和主義だったのだ
これはある意味で、世界中の
人がそうであれば本当は褒め
られることだが、
現実の世界から見ると、少し
優柔不断だったのではないか
と思うのだ
チベットの二の舞に
亡国にならないよう
我々はこの言葉を
肝に銘じるべきなのだ
話は、帝国陸軍が
いかにしてできたのか
ということに移りたいのだ
日本の陸軍がどのように
つくられたのか。
明治維新になって
太政官が明治3年、
「各藩に1万石あたり
6人ずつの兵を差し出せ」
という命令を出し、
常備兵を置こうとしたのだ。
しかし、明治維新から
間もなく、その翌年には
廃藩置県を控えている
ということもあり、
各藩ではそれどころではなく、
ほとんど実施されなかったのだ
現実的に新政府が軍隊を
持つに至ったのは、
御親兵からなのだ
御親兵というのは、幕末
にも京都の御所を警護する
ために設けられたが、
それは各藩から出された
武士集団であり、近代国家
の御親兵、
要するに軍隊とは
言えないものだったのだ
明治4年に改めて御親兵が
つくられて、それは東京に
遷都された天皇と、
それから新政府を守る
ために設けられたものなのだ
明治維新と明治4年の
廃藩置県によって、武士は
地上から姿を消してしまった
から、
軍隊というものは、要するに
武力集団というものは
日本には存在しなくなって
しまったのだ
そこで、新政府は薩摩、長州、
土佐の3藩から兵を出させて
御親兵としたのだ。
歩兵と砲兵が中心で、その
数はざっと8,000人とされて
いるのだ
8,000人というと、後の
帝国陸軍の4個連隊、
平時の1個師団のうちの
歩兵団の規模に相当し
御親兵は東京に置かれたから、
日本では首都東京以外には
軍隊は存在しないという
状況になったのだ
そこで新政府は、鎮台を
置くことにし
同年、東京、仙台、大阪、
熊本に鎮台を置き、
明治6年、名古屋と広島
にも鎮台を置き、
6個鎮台制とし
明治6年から徴兵令が施行され、
それまで軍務とは無関係で
あった武士、士族以外の
一般庶民が国家の命令で
軍隊に入営し、
兵士として一定期間勤務する
ことが義務付けられたのだ
鎮台に招集された兵は、
一般市民から「鎮台さん」
と言われたのだ
徴兵制というのは、
ナポレオンが始めたもので、
それまでは貴族が私兵を
持ち、それぞれがそれぞれ
の領土や権利のために
戦っていたのだが、
ナポレオンは一般国民を
召集して、兵役に就かせて、
フランス国家として
軍事行動を起こしたのだ。
これがまさに
近代国民国家の始まりなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる