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推測したんじゃ

どうも村田です

第一次世界大戦は

4年3ヶ月も続いた

長期戦になって

しまったのだ。

ドイツの

シュリーフェン作戦

が失敗した原因は何か、

シュリーフェン作戦

の内容は次のような

ものなのだ。

ドイツは西のフランス

と東のロシアという

2つの陸軍大国に

挟まれているのだ。

もしもこの両国を

相手に戦争をする場合

ドイツは軍を二分する

わけにはいかないから、

東のロシアは放っておいて、

最初の一撃で全力を

挙げて西のフランスを

倒し、

その後東へ引き返して

ロシアを倒す

この際問題となるのは、

東から国境を越えて

侵入してきたロシア軍が、

首都のベルリンに到達

する前にフランスを

降伏させなければ

ならない

という絶対的な

時間的制約のある

ことなのだ。

いわゆる肉を切らせて

骨を断つという捨て身

の戦法なのだ。

この作戦はあまりにも

大胆きわまりない作戦

だったため、

実際に大戦が始まると、

ドイツはこれを徹底する

自信がなくて、

かなり変更して水で

薄めた作戦になって

しまったのだ。

そのため、パリは陥落

せず、戦線は膠着状態

になり、

短期決戦どころか

4年3ヶ月にも及ぶ

長期塹壕戦になって

しまったのだ。

「シュリーフェン作戦

を変更せずに断固として

遂行していれば、ドイツ

第一次世界大戦で短期

決戦で勝利するチャンス

があった」と、

後世の歴史家が今日に

至るまで指摘してるのだ。

なるほど、短期決戦で

ドイツがフランスを

倒した可能性は確かに

あっただろう。

だが、イギリスを倒す

ことができただろうか。

ドーバー海峡で隔てられ

海軍を持つイギリスを

征服するのは、これは

不可能なのだ。

イギリスは徹底して

長期の消耗戦争を戦う

だろう。

さらにまた、フランス

を倒した後、ドイツは

返す刀で東へ向かって

ロシアを殲滅(せんめつ)

戦争で一気に降伏させる

ことができただろうか。

あの広大な国土を持つ

ロシアを短期決戦で

占領する、これは

不可能なのだ。

そしてこちらロシアの

戦線の方もおそらく

長期消耗戦争になって

いたのだ。

よく考えてみれば、

ロシアに攻め込んで

敗れたナポレオン、

あるいは独ソ戦で

ソ連に攻め込んで

泥沼に陥った

ヒトラーと同じ状況

ではないか。

第一次世界大戦は

持久戦争だったのだ。

決戦戦争の時代は

日露戦争を最後に

すでに終わっていた

のだ。

第一次世界大戦で

ドイツがシュリーフェン

作戦を徹底せず変更

してしまったのは、

彼らの心の中に、

無意識のうちに

持久戦争への予感が

芽生えて、

それに左右された

からだと石原は推測

するのだ。

石原の理論によれば、

「決戦戦争は男性的で

力強い。持久戦争は

女性的でしぶとい。

従って、決戦戦争を

行うときは統帥権が

独立していて、

政治の介入を許さず、

軍部の強力な指導の

もとに断固とした

態度で

戦争を遂行するのが

望ましい。逆に

持久戦争の場合には、

軍の独走を許さずに、

政治家の主導のもとに

外交交渉などを

駆使しながら柔軟な

戦争を行うのが

望ましい」と

いうことなのだ。

ドイツが第一次世界

大戦に敗れたのは、

戦争が持久戦争である

にもかかわらず、

ヒンデンブルクや

ルーデンドルフと

いった軍部が国を

リードして

政治家を寄せ付けず、

最後まで決戦戦争に

こだわって、

賠償金と領土の獲得を

求めたからなのだ。

そのため、個々の

戦闘ではドイツが

最後まで優勢で

ありながら、

戦争終結のチャンスを

逃してしまったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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