どうも村田です

そして昭和16年、
いよいよ大東亜戦争
ということになる
のだが、
これも後付けと
いうことになるが、
翌昭和17年、初めて
「私たちは西洋に
ならってきたが、
西洋によって幻滅した。
西洋という幻、蜃気楼
を私たちは失った。
その時に足下にいったい
何が残るのかを見つめ
なきゃ」
という機運が起こるのだ。
これが近代の超克に
なっているのだ。
この近代というのは
西洋と言い換えていい
のだ。
西洋ともう戦っている
のだから、西洋の理屈
で私たちは戦うことは
できないのだ。
その時に、文明開化、
西洋主義のルールの
外で自分自身を見つめて、
そのアイデンティティを
問い返さなければ、
というのが昭和17年に
出てくるわけなのだ
一応ここまでわれわれは
やったのだ。
軽く言うと、例えば
鈴木成高(しげたか)が
『「近代の超克」覚書』
の中でこう言って
るいるのだ。
『「近代の超克」覚書』
を少し読んでみるのだ。
「わが国に取り入れ
られた欧州文明が、
欧州文明の中で
特定段階のもの、
即ち今日の欧州人に
よって……」、
西欧人によって、
「再検討と精査を必要
とするものとせられ
つつある
十九世紀文明であり、
資本主義、個人主義、
自由主義文明である
かぎりにおいて、
この問題はまた
われわれ自身にとって
極めて痛切なる反省を
促すものであると
言わなければならない。」
つまり、
「資本主義の個人と
個人が契約すること、
物が個人から個人に、
ここで物がやりとり
されること、それを
前提にするし、
それを自由にすること、
これを拡大していく
のだけれど、
その原理だけで
私たちは共同性と
いうものを作れるだろうか。
作れはしない。そして
共同性がなかったら、
全体の中の適切な位置、
つまり自分の居場所と
いったものも見つける
ことはできまい。
果たして資本主義個人主義、
自由主義だけでは私たちは
やっていけるのか。
いや、やっていけないだろう」
と言っているわけなのだ。
だからこそ、
「空っぽの個人主義
の超克に向けて」と
鈴木成高(しげたか)
は言うのだ。
彼は京都学派で
そしてもう1人京都学派
だが、西谷啓治も
こういうことを言って
いるのだ。
「問題の根本は、
…如何にして、人間性の
全き肯定に立つ文化、
歴史、倫理等の立場と
人間性に無記である
見方に立脚する
科学の立場と自由活動
の所を与へ、」
つまり科学と倫理に自由を
与えたうえで、
「其等の自由を統一
しうるか、かかることを
可能ならしめる
宗教性は如何なるもの
でなければならぬか、
といふこと、
及びその宗教性に基づく
倫理の再建設にある。」
今読んでもそうだと
思うのだ。
つまり、私たちの価値
の根源を問うという
ことは、
宗教性を問うことと
イコールだから、私たち
は何だったら信じられて、
何をやったらエゴイズム
を超えることができて、
何をやったら個人主義と
自由を超えることが
できるのか、それを
問うているわけなのだ。
さて、そういう意味で
言うと、私たちの自由活動、
内発性と矛盾しない形での
宗教性が、
自覚へともち来らされるか、
もち来たらされないか、
これが思想的にいうと
最大の山場だったわけ
なのだ。
もちろんこの後、
私たちは昭和18年、19年、
20年と戦争のさなかに
入ってくるから、
こういう議論もする
余裕はなくなって
くるのだ。
ただ、この流れ、
私たちは天皇教と
いった形で日本を中心
集権化したのだ。
そしてそれを日本のある
種のアイデンティティに
したのだ。
もちろんそれは宗教性
なのだ
その宗教性を抑圧する
形で、文明開化と
殖産興業があり
もちろん文明開化と
殖産興業が、矛盾が
出ないうちは良かったが、
まさに危機の中でその
矛盾が発生するのだ。
その矛盾が発生した時に、
私たちが危機の時に
問い返さなければ
いけなかったのは、
私たちの生き方、
私たちはどうやって
自分のエゴを超えるのか
という宗教性、これが
実は大東亜戦争までの
間に問われていたと
思うのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

