どうも村田です
日本の近代史が
帝国アメリカの誕生
時代にぶつかって
しまったのだ
「日本の近代史の
門口でわれわれが
出会ったこの偶発
事故は誰にも予想が
つかない、
あまりに唐突な事故
だったから、これを
悲劇と呼ばずして何と
呼ぼうかという以外の
言葉を私は知りません」
謝罪でもなければ反省
でもないですよ、
ということが言いた
かったのだ
日本列島を主人公にした
歴史、いわば
「地政学的歴史」
といってもいいと思うが
あるいは日本文明という
ものがどういう至難、
試練に耐えてきたか
ということ、
いわば「文明論的歴史」
ということで書いたのだ
もともと大本が縄文文明
というものがあるのだが、
そこに弥生文化が入ってきて
衝撃を受け、
そしてシナの文明の衝撃を
受け、それを吸収し、また
15世紀、16世紀には
西洋、スペイン、ポルトガル
の衝撃を受け、それを吸収し、
そして幕末以降は西洋文明の
衝撃を受けて、
それも吸収して日本は
1国で1つの文明という
ものをずっと維持してきた
ということだったのだ
他国のほかの文明の成果
というものは受け入れ、
変化はしたけれど、
日本の文明は日本の文明で
あり続けてきた。
そういうストーリーを
書いてきて、それ以降の特に
大東亜戦争、第二次世界大戦
のインパクトということで
かいたのだ
ある意味で、日本は今回の
日本文明に対する衝撃から
まだ立ち直っていない
ということがいえるのでは
ないかと思うのだ
縄文文明というものを
日本文明の基礎とすると、
そこに稲作とか集団農耕
という弥生文化というもの
が入ってきたのだ。
そういったものは、結局
「弥生人というものが大量に
移民してきてそれが大部分の
日本人になってしまった」
ということではなかった
ということが最近分かって
きて、そういった生産方式が
新しいものを取り入れた
けれど、
日本は日本人の価値観、
そして自然観そして霊魂感
というか、精神感という
ものは失わなかったと
いえるのではないだろうか
弥生というのも文明と
言ってよければ、
弥生文明の衝撃にも
耐えたということなのだ
それで、シナの文明の
衝撃にも耐えてその成果を
吸収し、2回にわたる西洋
との遭遇もうまく乗りきった
のだ
しかし、大東亜戦争における
敗北。
敗北というのは軍事的に
いうと対米戦における敗北で
対米戦における敗北からは、
国家として立ち直って
いないのはもちろんなのだが、
もう少し深いレベルにおける
日本文明として、まだ自分
自身を取り戻していない
ということが言えるのでは
ないかというのが、
感じたことなのだ
ナポレオンはかつて
「1つの国というのは大きな
戦争に負けると100年は
立ち上がれない」
と言ったそうだが、
われわれはもう80年経ったので、
そろそろ立ち上がらないと
いけないときだと思うのだ
やはり日本人に今一番
必要なのは「勇気」
なのだ
強い国を作る、そして
自分たち自身の文明を
守るということなのだ
それは自分たち自身の
家族を守り、国を守り、
そして先祖から伝わって
きたこの日本の文明を
子孫に手渡していく
ということなのだ
譲ってはいけないものは
絶対に守らなければ
いけないのだ
そして、勇気を持って現状を
変えるということは、
すなわち「敗戦国体制」
なのだ
この敗戦国体制の
日本再興戦略の1つの
キーノートというか、
1つの基調音になっている
のはやはり東京裁判史観の
一掃、それの克服ということ
に尽きると思うのだ
その意味で現状を変える
勇気というのがいると思う
のだ
日米戦争に関しては最後に
「非常に郷愁的に見ると
アメリカ帝国の興隆期に
日本がぶつかってしまった
ということが日本の悲劇
であった」
これは非常にマクロ的に考えて
一言でいえばそういうことだと
思うのだ
よく言われるAnalogy
(アナロジー)でもあるが、
ローマ帝国はローマ共和国で
あり、帝国になるが、
ローマが興隆するときに、
当時は地中海世代だが、これを
どうしても滅ぼさなければ
ならなかった最強の敵が、
実はローマの対岸にあった国
「カルタゴ」なのだ
これはポエニ戦争というが、
第一次、第二次、第三次
ポエニ戦争があって、
カルタゴというのは完全に
破壊されて立ち上がれなく
なって、最後はもう街が
焼かれて塩をまかれて
終わったと言われてるのだ
当時の地中海が今の
太平洋だとすれば、ローマ
に匹敵するのがアメリカ
合衆国であり、
カルタゴに匹敵するのが
日本だということになる
のだろう
しかし、ローマが発展
しようと思っているときに
海の向こう側に「カルタゴ」
というライバルの国がある
としたら
これは地中海世界を
制覇するためには
どうしてもこの国を
つぶさざるを得なかった
ということが、
非常に大きな視点から
みるとそういうことで
なのだ
そのときの政治家が、何が
正しかったとか間違っていた
かということもないと、
ただそういう郷愁的なこと
からいうと、ローマと
カルタゴの関係と戦争に
おける日米の関係という
のは
1つのAnalogy(アナロジー)
が成立するのではないか
ということなのだ
こういうAnalogy(アナロジー)
は歴史を少し勉強すると
誰でも気がつくことであり、
ただその戦争に負けた後は、
今度は共産主義の驚異に
アメリカは立ち向かわかければ
ならなくなったから、
日本とアメリカが第二次、
第三次と戦争をすることは
なかったということになるのだ
しかし、その中で日本は
従属的な地位とうか、敗戦国の
地位から逃れることが
できないでいるのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる