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親しまれてきたんじゃ

どうも村田です

明石のこういう

日露戦争を勝利に

導いた

インテリジェンス

はあったのだが、

残念ながら

明治の日本陸軍の

中では、こういう

情報を重視する

という風潮は

なかなかなかった

のだ。

日露戦争の後、

明石はどんな仕事を

したかというと、

韓国併合されるのは

1910年なのだが、

その前後の朝鮮に

憲兵司令官と警務総長

という肩書きで赴任

するのだ。

そして武断政治

というのをここで

推し進めるのだ。

この時にとったのは、

韓国民に対して非常に

弾圧だったのではないか

という人がいるのだが、

孫の元紹(もとつぐ)

さんから聞いている話

では、

「いや、そうでは

なかったんだと、韓国の、

朝鮮の国民に本当に

真摯に向き合う形で、

韓国という国をきっちり

造るために厳格な規制

を行ったんだ」

というように伺って

いるのだ。

そしてその後、

1914年、朝鮮から

参謀本部に戻り、

参謀次長に栄進したのだが、

あまり時を置かずに熊本の

第6師団長に転勤となり

これは悲しいかな、

陸軍の中に情報軽視の

風潮があったと言われて

いるのだ。

後にまた説明するが、

彼を引き立てた

児玉源太郎は明石を

信じて、

多額の機密費を

「彼なら大丈夫だ」

ということで渡して、

信頼をして送り出した

のだ。

児玉源太郎や山県有朋

のような情報の重要性

を認識した上司は明石

を立てたのだが、

そのほかの陸軍中枢は

どちらかというと

情報活動は二の次、

三の次で

情報活動を忌み嫌う

風潮が残念ながらあって、

結果として明石は熊本に

左遷されたことになって

いるのだ。

この日本史上最大の

謀略戦をやった明石が

左遷されたことで、

情報将校が中枢で活躍

すると、中枢から外れる

といった傾向が

日本陸軍内で生まれて、

後の情報軽視に

つながってしまった

ことは大変残念でならない

と思うのだ。

そして、1918年、

台湾総督に就任し

同時に陸軍大将に進級

するのだが、これは

台湾で行ったことは

本当に現代でも台湾の

人たちから親しまれる

ような近代化を進めるのだ。

つまり、ロシアで圧政に

苦しむ人民の独立を助ける

のだ。

特にロシア国民のみならず、

ロシアの侵略によって

植民地とされた、

緩衝国とされた東欧の

ポーランドやバルト3国の

そういった苦しむ人たち

を助けるために、

ソ連、ロシアでは

転覆工作を行ったのだ。

台湾では、今度は

人民の生活の向上の

ためにインフラを

整備するのだ。

発電用のダムや米の

増産目的のかんがい用の

ダムを建設するのだ。

そして鉄道の敷設を

進めて、誰よりも

近代化に尽力したのだ。

福岡の地元の福岡

日日新聞に当時載った

台湾時代の写真では

こういった台湾での活躍に、

「次は総理をやってもらおう」

という声も上がったそうなのだ

そういう声が上がった

わけなのだが、総督に

就任してわずか1年4か月後に、

1919年、わずか55歳で

永眠されるのだ。

いろいろと言われている

のだが、当時はやった

スペイン風邪が原因では

なかったのか言われて

いるのだ。

素晴らしいのは、故郷の

福岡へ一時帰国した時に、

亡くなったのだが、

「自分の遺体は台湾に

移して、台湾に墓場を

造って、永遠に台湾に

眠らせてくれ」と、

こういう遺言があり

台湾に日本から行った

総督が19人いるのだが、

墓を造るほど台湾を

愛した総督は明石以外

にはいなかったという

ことなのだ。

最初に墓が造られた

台北市の林森公園では

途中いろいろな経緯が

あって、

戦後、大陸から移動

してきた中華民国の

蒋介石の中華民国軍が

墓を掘り起こして、

ここにバラックの住宅を

建ててしまって、

一時はこの明石神社

という鳥居までその

建設資材に使われて

埋もれていたのだ。

けれど、戦後、

李登輝さんたちが

「明石さんの功績を

やっぱり後世に

伝えるべきだ」

ということで、

バラックを全部解体して、

公園にして、明石神社の

跡の鳥居を、

2種類あるのだが、

左側が明石さんの鳥居で、

右側は部下だった人の

鳥居なのだ。

中心地に明石さんが

埋められたこの墓地の

鳥居の神社の跡があって、

実際のお墓は、台北から

1時間半から2時間ぐらい

の郊外の共同墓地で、

2つとも訪ねたのだが、

ちょうど山の中腹にあって、

東シナ海が見えるのだ。

本当に永遠に明石総督が

台湾を守るというような

位置にあって、

花束が今も絶えない

ような状況で、いかに

台湾の人たちに

親しまれてきたか

ということが伺えるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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