どうも村田です

正統(しょうとう)
について議論する
絶好のチャンスで
皇室の危機が叫ばれ
続けているが、
危機の時代だから
こそあえて根源に
戻らなければいけない
ということなのだ。
そうして常に
正統(しょうとう)を
確かめるチャンスが
ないと、
日本人の感覚も次第に
鈍ってきてしまうのだ。
だから、男系男子で
なくてはいけないと
いう議論自体、
それは本当に
正統(しょうとう)
なのかということを
考えなければないのだ。
「やはり血ではなく
徳でつながっている」
とか、
「天皇霊でつながって
いるのではないか」
とか
そうした議論をすべて
総合して見ていく必要
があるのだ。
議論を深めていけば、
「そもそもいまの
日本国憲法だって
おかしいだろう」
という話にまで発展
しかねないのだ。
「いまの象徴天皇制と
政教分離の原則だって
相容れないのではないか」
という問題も浮き彫り
になるのだ。
象徴天皇制と政教分離
の間にはねじれがある
のだ。
この問題は、やはり
日本人の中でじっくり
議論しないといけない
と思うのだ。
『神皇正統記』
という本は、良い刺激
を与えてくれるところ
があるのだ。
『神皇正統記』
を読むと、本地垂迹
(ほんじすいじゃく)
の逆で、
天照大神は大日如来
(だいにちにょらい)
の映し、
要するに神様が仏様に
なっているということ
が書いてあるのだ。
日本の神道思想において、
仏教も儒教もすべて包摂
され、
それでいて常に刷新
されていくということ
なのだ。
神道には聖典となる
テキストがない代わりに、
どんどん様々なものを
取り込み吸収し、
我々もそれらを消化
していくところに
大きな特徴があるのだ。
島崎藤村の
『夜明け前』
という小説があり
明治維新が舞台だが、
当時の日本人が本当に
望んだ
「夜明け」というのは、
神代の世界に還りながらも、
新しい世の中を作り出して
いくことなのだ。
ところが明治時代には、
そうした日本的な感覚
が失われ、すべてが
西洋化してしまったのだ。
天皇までもが立憲君主
という西洋的な枠組み
へと押し込められて
しまったのだ。
ちなみに藤村がこの
小説を書いたのは、
明治維新(十九世紀後半)
から約七十年後の
昭和十年なのだ。
「明治維新は本当に
正しかったのか?」
という問いを
藤村自身が投げかけた
ということなのだ。
奇しくも、
今年二〇二五年は、
大東亜戦争が終わって
ちょうど八十年目で
藤村のように、現代の
日本人からもそうした
問いが噴出してきても
おかしくはないのだが
いま、西洋が没落
している時代だと
思うのだ。
ヨーロッパの力が
落ちてきている。
確かに明治維新の頃は、
日本も西洋文明に
追いつけ追い越せで
必死だったのだ。
ところが昨今、西洋型
の主権国家ではない国、
例えば、中国や韓国や
台湾などが勢いを
増してきているのだ。
そのとき、我が日本は
いち早く西洋的なもの
を取り込むが、
一方で
「アジアにはアジアの
思想や価値観があるんだ」
と他のアジア諸国に示して
いかなければならないのだ。
何でもかんでも西洋
一辺倒ではなく、むしろ
日本がアジアの中心的
存在となる必要があるのだ。
日本はいち早く近代化を
成し遂げた国として、
その責任があるのでは
ないかと思うのだ。
しかもいまは
「トランプ2.0」で
トランプ大統領が
日本に対して
「独立」
を求めているのだ。
トランプ氏はアンチ
グローバリズムで、
日本に一刻も早く
「自立」
してもらいたいのだ。
アメリカがいちいち
面倒を見なくてもいい
ようにと
今後は民族や国体に
ついて、日本人が
主体的に考えていく
べきなのだ。
そうでなければ、
貿易もできないし、
関税の交渉だってまま
ならないわけなのだ。
もはやトランプ様様
なのだ。
日本人は昔から、
外圧がないと
なかなか動かないのだ。
日本の正統
(しょうとうOrthodoxy)
を熟考するチャンス
なのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

