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いつごろなんじゃ

どうも村田です

九州で見つかった土器

というのは大体弥生時代

の真ん中ぐらいの土器

というふうに考えられて

いたわけなのだ。

つまり、弥生式土器が

発見される以前とは、

石器時代と鉄器時代

という2つの時代があった

のだ

縄文式土器の時代が

土師(はじ)器や須恵器

といった古墳時代の土器

の時代、

このように石器時代と

鉄器時代というのがあって、

ここに弥生式土器が見つかって

どちらだろうかという

議論が行われたわけなのだ。

結局先ほど説明したように、

九州で石器も伴うし、

金属器も伴うということで

あれば、

両方を伴う時期があるよな

ということで、金属と石器が

両方使われていた時代、

併用されていた時代、

もしくは石器時代と

鉄器時代の中間の時代、

そういうふうな位置付けが

されたわけなのだ。

まだ弥生時代という言葉は

ないのだ。

石器時代と鉄器時代の間に

挟まれた金属器も使うし、

石器も使う、

併用されていた時代として

認識されることになったのだ。

その後、昭和の前半にかけて、

弥生式土器の時代というのが

どういう時代なのかというのが

分かってきたのだ。

時期的な位置付けについては

先ほど説明した通り、中間的

な時期に来るのだ。

それから水田稲作を行っていた

ということが分かってきたのだ。

それから弥生式土器の時代

には縄文時代から継続されて

いる伝統的なものもあるし、

それから弥生時代になって

改めて大陸から入ってくる

渡来的なものもあるし、

それからもとからあったもの

と新しく入ったものが融合

して新しく生まれた、創造

されたものもあるのだ。

これを弥生系というのだが、

こういうふうに3つの系統

から文化が構成されたという

ことも分かったのだ。

それから、特に弥生式土器と

一緒に出てくる青銅器は、

西洋ではおのや武器といった

利器として

使われることが多いのだが、

中国を中心とした東洋の世界

ではお祭りの道具、

祭器とかそれから礼器として

使われていたという、

そういう青銅器文化の特徴が

あるのだが、

この弥生式土器に伴う青銅器

もそういうふうなお祭り系の

土器、利器というよりは

お祭り系の土器ではないか

というふうな、そういう

ことが分かってきたのだ。

実際に遺跡の発掘調査が

戦前に行われたのだ。

昭和10年代に奈良県の

唐古遺跡というところで

発掘が行われて、

この発掘によって弥生式土器

の編年というものが整備を

されたのだ。

それから、かめ棺に伴う

金属器というのは弥生時代の

真ん中ぐらいという話をしたが

けれど、この唐古遺跡の調査

によって弥生時代の一番古い

段階から、

つまり弥生時代が始まった

最初から水田稲作が行われて

いて、最初から鉄器が

使用されていたのではないか

というふうなことが、この

唐古遺跡の調査では分かった

のだ

唐古遺跡の調査で木製農具が

出てきていたのだが、水田

自体は見つかっていなかった

のだ。

それで昭和20年代に、

昭和18年から昭和23年ぐらい

までにかけて、

静岡県の登呂遺跡の発掘調査

が行われて、そこで初めて

水田の遺構というものが発見

されたのだ。

唐古遺跡で見つかっていた

木製農具とか、そういう

ものが水田に伴って実際に

水田稲作が行われた

ということがここで初めて、

昭和の初期にというか戦後

すぐに確認されたということ

なのだ。

これ以降、学校の弥生時代の

教科書の部分には登呂遺跡の

水田の写真とか、

登呂遺跡で見つかった竪穴住居

とか、高床倉庫の写真が載る

ようになったのだ。

1989年に吉野ケ里遺跡が

見つかるまでは、この

登呂遺跡が代表的な遺跡

として教科書で見つかった

ということなのだ。

その後、1950年代になり、

実際に弥生式土器の時代が

いつごろから始まったのか

という、その起源問題、

弥生文化と起源問題という

ところの研究が進み始め

るのだ。

一番古い弥生土器を

どうやって決めるのか

という話なのだが、

一番単純なのは、縄文、弥生

とくるから、一番新しい

縄文土器の次に出てくるのが

一番古い弥生土器になるわけ

なのだ

なので縄文土器と弥生土器

とが一緒に出てくる遺跡が

九州北部にあることは

戦前から知られていたのだが、

それを踏まえて戦後、

九州北部でそういった

遺跡の集中的な調査が行われた

のだ。

その中の1つに福岡市の

板付遺跡という遺跡で、

縄文土器と

それから弥生土器が共伴して、

一緒に使用された状態で

出土したという発見があった

のだ。

これによって、一番古い

弥生土器というのがこれだ

ということが認定されて、

一番新しい縄文土器が

これだというのが認定

されるのだ。

それぞれ一番新しい縄文土器

は夜臼(ゆうす)式土器、

一番古い土器が板付Ⅰ式土器

というふうに命名されたわけ

なのだ。

この夜臼(ゆうす)も板付も

地名で福岡県の地名になる

のだ。

板付というのは福岡空港の

川を挟んで西側にある

福岡市博多区板付地区。

その板付遺跡の地名を取った

ものなのだ。

共伴することによって、

ようやく弥生時代の始まりが

どの土器からかというのが

分かったのだ

どの土器からかということが

分かったら、では今度は

その年代は一体いつごろなのか

という話になってくるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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