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狙ってきたんじゃ

どうも村田です

すぐさま反撃

しないとロシアに

1日で占守島を占領

されてしまって、

その勢いで千島列島

から北海道になだれ

込んだであろうと、

すぐ反撃したから、

ロシア軍を留め置けた

わけなのだ

この独断で判断をした

ということが非常に

今から考えると重要だと、

これは十分入念に予見

していたからだと

いうふうに思えるのだ。

この見抜く先見性が

あったということが

非常に大事なのでは

ないのかなと思うのだ。

そもそも樋口は、

スターリンの狙いは

千島列島だけではなく、

北海道の侵攻、占領の

野望があると、それを

早くから予測していた

と思われるのだ。

こういった先見性のある

樋口の決断と、もちろん

現地軍の奮戦が

ソ連による北海道分割の

悪夢を逃れたと言えると

思うのだ。

そのことについて、

『遺稿集 樋口季一郎の遺訓』

というのがあるのだが、

これにはこういうふうに

書いているのだ。

「私自身は、ソ連が

さらに進んで北海道本島を

侵攻することがないか

という問題に当面していた。

相当長期にこの問題に

悩んでおる」

というのだから、

これは相当前から、

このことを考えていた

ということがうかがえる

のだ。

そして、1個の不安を

持った、すなわち

ソ連の行動いかんに

よっては、

自衛戦闘が必要になると、

もう初めから、大本営の

許可を得ないで

自衛戦を戦うのだ

ということを考えて

決意していたということで、

ソ連の狙いは本土にある

というように彼は考えて

いたのだ。

では、なぜ本土なのか

ということなのだが、

シベリア出兵というのが

非常に重要なのだ。

ロシアからすると

シベリア出兵で、海を

渡った日本に4年に渡って

占領されてしまったのだ。

だから樺太、千島は

もちろんのこと、日本本土

である北海道まで侵攻して

占領しなければ気が済まない

と、こういうふうに

樋口は考えていたのだ。

実際にスターリンも

そういうことを考えて

いたということを戦後

言っているから、

これは当たっていたのだ。

なかなか私たちは、

あのシベリア出兵って

一体何だったのか

と言うように思うのだが、

正式には、1918年から1922年

まで続けられた、

いわゆる第一次大戦の

連合国がロシアの革命軍

によって捕らわれた

チェコ軍団の救出、

これを名目にアメリカ、

イギリスなどと共に、

日本軍はシベリアに出兵

したのだ。

ロシア革命に対する

干渉戦争というふうに

世界的には言われて

いるのだ。

日本はこの反革命軍、

革命のボルシェビキ、

白軍と言われたのだが、

その反革命軍と行動を

共にして、一時は北樺太

はもちろん、

それからニコラエフスク

という、これは尼港の

惨劇といって

多くの日本人が革命軍に

よって虐殺されたのだが、

このニコラエフスクなのだ。

それから非常に重要

なのは、バイカル湖の

湖畔のイルクーツクまで、

これは日本軍と反革命軍が

占領したのだ。

この後、占領したことに、

ソ連と言うか、

スターリンというか、

ロシアは深い恨みというか、

本土を占領されたという

恨みを持っていたのだ。

この時が革命のこの時が

ロシアにとっては非常に

弱い時代で、

これは面白いことに、

実はフィンランドや

バルト3国、

ポーランドが、

同じ時期に独立を

果たしているのだ。

このどさくさに紛れて

と言うか、この混乱期に、

ヨーロッパの左側の

独立宣言までした国々なのだ。

反革命軍独立派が

一時的には支配した

地域なのだ。

これを見ると極東も、

ほとんどロシアの極東は

反革命軍が支配していた

わけなのだ。

極東共和国などという

国も一時できていて、

これが今も本当に存在

しておれば、

フィンランドやポーランド、

そして面白いことに

ウクライナも、

反革命軍として独立派が

支配していたわけなのだ。

これはロシアからすると、

この時に独立宣言を

していないから、

ずっとロシアのものだ

というような、ゆがんだ

ロシアの

ロシア第1主義の考えを

プーチンは持っている、

そういうこともここで

うかがえるのだが、

しかしここではロシア、

ロシア民族に対して、

ウクライナは反革命派が

一時支配して、

ロシアとソビエト政権とは

異なるというようなこと

だったと。

少なくとも1918年から

1922年まではそうなのだ。

こういう状況の時に、

日本はイルクーツクまで、

あるいはニコラエフスク

まで行って、

これは相当な面積で

ウラジオストクから

満州のハルビンとか

チチハルとか、

ブラゴヴェシチェンスク

とか、こういった地域を

占領したということなのだ。

この恨みを

第二次大戦末期に

晴らそうということで

北海道まで狙ってきた

ということなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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