どうも村田です

これまで縄文晩期と
言われていた縄文土器を
弥生土器にしなくては
いけなくなり
ところが、やはりいつの
時代にも、
「いや、もともと弥生時代
というのは弥生式土器の
時代として設定されたわけ
だから、
水田稲作が縄文晩期の時に
伴ったからといって、
それまで縄文晩期の土器と
言われていた土器を
弥生土器とすることは
できない。なので日本の
水田稲作は縄文晩期から
始まったというふうに
考えるべきだ」
という2つの説が、
1980年代の前半に論争に
なったのだ。
だから、新説では定型化した
水田稲作が始まった時代で、
もともと縄文晩期の後半と
言っていた時期を弥生早期
として新たに弥生時代に
組み入れると、
早期・前期・中期・後期とし、
年代も紀元前の5世紀から
古墳が出現する
紀元後3世紀までの
約600年から700年間が
弥生時代であると、
これが佐原さんの定義に
従った新しい弥生時代の
定義になるのだ。
「いやいや、最古の弥生土器
は板付Ⅰ式なのだから、
農業の始まりと鉄器の使用開始
はあくまでも
縄文晩期と認識するべきだ
だから弥生時代の始まりも
紀元前3世紀から変える
必要はない」
というふうな伝統的な考えに
基づく説、この2つの説が
並び称することになるのだ。
特に旧説は九州北部の
研究者に有力だったのだ。
それから、新しい説は
近畿地方の研究者に非常に
有益だったのだ。
これが。1960年代から
20世紀の間に教科書に
書かれていた弥生時代、
弥生文化の内容という
ことになるのだ。
そこで21世紀に入り、
水田稲作が実は500年あまり
早く始まっていたということ、
それに伴って教科書が
その20年後に記述が書き換え
られるようになったという
話をしたいと思うのだ。
では、水田稲作の開始年代は
なぜさかのぼったのか。
それまで紀元前300年とか
紀元前500年とか言われて
いたものが
何で紀元前1000年まで
さかのぼるのかという話を
したいと思うのだ。
これはなぜ紀元前3世紀と
決められたのかという、
その根拠をまず話ししない
といけないのだ
これはもともと文字のない
時代なので、文書がないので
遺跡から出てきた土器や
石器が何年ごろのものなのか
というのは分からないわけ
なのだ。
だからどうやって決めて
いったかというと、当時の
中国で制作年代が分かって
いる遺物なのだ
これと一緒に土器が出て
くれば、大体その土器の
年代というものを決める
ことができるのだ
これが考古学的に年代を
決める1つの方法なのだ。
もう1つは、科学的に炭化物の
測定をして、炭素14年代測定法
をすることによって
直接求める方法、この2つの
方法というのがあるのだ。
最初の考古学的な方法を
交差年代法という難しい
言葉で言うのだが、
製作年代の分かっている
資料を根拠に求める方法
なのだ。
これはもともと西洋世界で
始まった方法なのだが、
ギリシャ文明の年代を
決めるのに
エジプトの製作年代の
分かっている資料をもとに
年代を求めた、これが起源
になるのだ。
日本の場合では、それが
中国という資料になるわけ
なのだ。
それから炭素14年代になる
わけなのだが、実はこの
炭素14年代は
60年前も炭素14年代、
それから21世紀も実は
炭素14年代だったのだが、
科学技術の進歩による
精度が上がったということも
あるのだが、
それ以前に大きな問題
というのが60年前にも
あったのだ。
1つは測定した資料の年代
というのがもともと
間違っていた可能性なのだ。
それから炭素14年代を西暦に
直すときの方法が間違っていた
と、
この2つの問題を挙げることが
できるのだ。
紀元前300年説の根拠なのだが、
弥生時代に年代の分かっている
ものにどういうものがあるか、
中国で作られていたものに
どういうものがあるかというと、
中国の鏡なのだ。
それからもう1つは、
金印なのだ。
これはいつごろのものか
というのが実は分かっている
わけなのだ。
だから、これを使えば
それに伴う土器の年代を
決めることができるわけ
なのだ。
実は前漢、後漢で作られた
鏡というのは、全部でⅠ期から
Ⅶ期まであるのだが、
これはⅢ期に作られた鏡なのだ。
これが大体紀元前の50年を
前後する時期に作られた
ということが分かっている
のだ。
紀元前50年を前後する
50年ぐらいの間に中国で
作られたということが
分かっているのだ。
これがかめ棺に副葬される
ということになるわけなのだが、
当然この中国のこのⅢ期の鏡が
製作される前に、かめ棺上に
副葬することはできないのだ。
また、鏡自身が存在しないから
なのだ。
これは漢式鏡Ⅲの製作期間の
まだ前の棺になるから、
これはあり得ないのだ。
そうすると、このかめ棺
というのは、漢式鏡Ⅲ期が
製作される最初の年代以降の
ものであるということに
なるのだ。
つまり、このかめ棺の
上限年代が分かるわけなのだ。
これ以上はさかのぼらない
ということが分かるのだ。
これは漢式鏡Ⅲ期の
製作年代の上限と一致
するのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

