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症候群なんじゃ

どうも村田です

マコーリー主義は今も

続いていて、アイドルを

どんどん作ってるのだ

マコーリー主義の

アイドルと呼んでおり、

一方でこの根底にある

精神性を、

ジャンヌダルク症候群と

勝手に呼んでるのだ

ジャンヌダルクはフランスで

悪いおじさんたちや政府と

戦った若い女性の闘士で

あるのだ

つまりここでいう

ジャンヌダルクとは、

若くて美しくて理想的な

ことをいう人には

誰も逆らえないことを

いうのだ。

特にそれが女性であれば

なおさらなのだ

このジャンヌダルク症候群

の典型的な人たちを何人か

紹介したいと思うのだ

最初の人は

ベーナズィール・ブットー女史

といい、

パキスタン民主党のヒロイン

と言われた方なのだ

承知の方もたくさんおられると

思うが、この方はイギリスの

オックスフォード大学出身で

あるのだ

イギリス人の家庭教師に

育てられて、イスラム教徒

であるにもかかわらず

アイルランド人修道女が

経営するキリスト教の

修道院で暮らしていたのだ。

お父さんが政治家で

あった方なのだ

この方は欧米のメディアに

対してはまさに民主化の、

女性の人権的なこと、

自由民主主義のことを

流暢な英語で言うから

欧米では非常に人気の

あった方なのだ

1988年にピープル紙という

雑誌で

「世界で最も美しい50人」

というものにも選ばれて、

実際に美人だった方なのだが、

実は英語が非常に上手だった分

パキスタンの言語である

ウルドゥー語があまり

上手ではなかったと

言われてるのだ

つまり日本でいうのであれば、

片言の日本語しか話せない

女性の政治家が日本に来て、

片言の日本語で

「私、アメリカで生まれました」

みたいなことを言ってから

英語でペラペラと話すと、

欧米諸国は

「彼女は日本の民主化の

すごいリーダーだ」

というのだが、

われわれからしてみれば少し

違うのではないかなと思う

わけなのだ

実際にパキスタンでも

「あの人は少し違うのではないか」

と思う人が多かったそうなのだ

このブットー女史は日本でも

人気のあった方なのだが、

かなり腐敗した政治家だった

と言われてるのだ

あまりにも腐敗していて、

例えばスイスなどいろいろな

海外企業に不適切な便宜を

図ったりして、

自分のポケットにいろいろな

お金をたくさん入れていた

という方なのだが、

何と2006年には

国際刑事警察機構による

国際指名手配までされて

いるのだ

「あのブットーさんが

国際指名手配犯なのですか」

と少し驚かれるかもしれないが、

実際に指名手配されていた方

なのだ

そしてこの方は言葉も非常に

悪かったそうで、欧米の

メディアに対しては、

まさに聖女の姿を見せていた

のだが、パキスタン人に

対しては、

昔パキスタンを統治していた

イスラム帝国の王のように

非常に差別的で見下すような

態度で接していたと言われて

いるのだ

また、彼女の政敵に対しては、

「やつらの子どもたちが

死に絶えてその腕が腐って

腐敗するように」

というふうなお祈りをしていた

ということを、彼女と親しかった

あるアメリカ人ジャーナリストが

証言しているのだ

そんな感じで実際の見た目と

本質はかなり違った女性だった

そうなのだ

またこの方は面白いことに、

2007年にアルジャジーラが

放映したあるテレビの

インタビューで

「ビンラディンはすでに

殺された、死んでいる」

と言ってしまったのだ

ご記憶の通りビンラディンが

アメリカ海軍特殊部隊

ネイビーシールズのチーム

シックスに殺されたのは、

この4年後の2011年だが、

2007年の10月ごろの段階で

彼女は

「ビンラディンは

すでに死んでいる」

とテレビで言ってしまったのだ

アルジャジーラの

インタビュー放送はそのまま

BBCが提携しており、

それをBBCでも放送したのだが、

BBCの放送ではこの彼女の発言

の部分だけカットされていたのだ。

それを知っている欧米人たちが

「何でそこをカットするんだ」

と言ったところ、

BBCは慌てて

「あれは担当者が忙しかった

のと、あれは言い間違いだろう

と思い勝手に切ったのだ」

という言い訳をモゾモゾとした、

ということがあったのだ。

今はインターネットなどでも

全部見られるようになっている

と思うが、

彼女はそのようなことを

言ってしまったのだ

そしてこのころブットーさんは、

自分がもうすでに欧米から

見放されているということに

気付き、

アメリカ、イギリス、イスラエル、

民間軍事会社等に自分の警護を

してほしいとひたすら頼み

まくっているのだ

その他にもCIAやイギリスの

諜報機関のモサドにも頼んで

いるのだ

しかしこのビンラディンが

死んだ発言から2ヶ月後の

2007年の12月27日に、

パキスタンのラワルピンディ

という所で 皆の見てる前で

暗殺されてしまうのだ

この暗殺の犯人はいまだに

捕まってないのだ

これがマコーリー主義の

アイドルの第一人者だと

思っておるのだ

その次がよくご存知の

アウン・サン・スーチー女史

なのだ

この方はミャンマー民主化

のヒロインなのだ

彼女も実はオックスフォード

大学出身であり、旦那さんは

イギリス情報部員であったと

言われる

マイケル・アリスという方

なのだ

彼女の人生を描いた

プロパカンダ映画

「The Lady」

という映画が作られて、

ミャンマーの専門家等は

「片腹痛いプロパカンダ映画だ」

というように言っていたのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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