どうも村田です

印象操作をしている
だけなのだ
彼はこんなことも
言っているのだ。
「この検閲を
かいくぐるために、
操縦士たちは複数の
方法や工夫を用いた。
まず、曖昧な言い回し
を用いて表現し、相手が
文意を察してくれること
を期待する方法がある。
あるいは、あえて自ら
のためらいをあまりに
あからさまに示さずに、
問いかける方法がある。
それとは反対に、明確に、
軍部に対して正面から
反対意見を述べる者もいた。
そのような手紙は、
間接的に宛先の者へと
手渡されるが、その場合、
書き手は命の危険に
さらされることになる。
このようなメッセージの
多くは
書籍
『きけ わだつみのこえ』
に収められており、刊行と
同時に大きな反響を呼んだ」
そして、この後で紹介
されている4通の手紙は、
すべて、
『きけ わだつみのこえ』
から取られているのだ。
これらの遺文こそが、
特攻隊員たちの本心
だったのだと、
ケスレー氏は言いたい
のだろう。
この章の最後で、
ケスレー氏は次のように
結論づけているのだ。
特攻隊員は
「戦士たる主体としての
倫理的自己を定めようとする。
しかし本来的にそうした
主体ではない者が、情緒的
なつながりと兵士としての
絶対的な誓いとの間で
引き裂かれ、 死なねば
ならぬ義務と生きたい
という情熱の衝突が
引き起こす感情
こうしたものを顕わにし、
あるいは表現しようと
する神風特攻隊員の書簡は、
いずれ世界遺産に値する
と評価されるべきでは
ないだろうか?」
ここまでに繰り返された
方向付け、刷り込みに
よって、もはや、
読者が行間から読み
とれるものは
「死そのものの賛美
以外には意味のない死を
せまられた者たちの、
生き続けたいという
悲痛な叫び」
以外にはないでしょう。
その他は、すべて何物かに
よる洗脳、圧力、強制の
所産でしかないのです。
そういうものとして、
特攻隊員の書簡を
「世界遺産」に登録
すべきだと、
ケスレー氏はいうのだ。
さてここで、問題に
したいのは、ケスレー氏
が高く評価している
『きけ わだつみのこえ』
なのだ。
この遺稿集は
昭和22年12月に出版された
『はるかなる山河に』
の続編として、昭和24年に
刊行されたのだ。
『はるかなる山河に』
に載せられたのは、
東大の戦没学生の手記だけ
だったが、
『きけ わだつみのこえ』
は、広く全国の大学高専
出身の戦没学生の遺稿を募り、
集まった309人の中から
75人を選んで載せたもの
なのだ。
そして、その編集に
おいては、「旧版序文」
を見ればわかるが、
「現下の社会情勢その他に、
少しでも悪い影響を与える
ようなことがあってはならぬ」
との判断から、
「過激な日本精神主義的な
ことや戦争謳歌にも近いこと」
を書き綴ったものは採用され
なかったのだ。
つまり、
「自主検閲」
が行われたわけなのだ。
それだけではなく
占領下だったから、当然、
占領軍による検閲もあった
のだ。
「岩波文庫旧版あとがき」
で、中村克郎氏は
「軍国主義的な言辞
―たとえば、八紘一宇、
万世一系、天壤無窮、
七生報国、承詔必謹、
天皇陛下万歳、九段の
社頭で会おうよ、
というような言葉は、
『はるかなる山河に』
の出版の場合、
内幸町のNHKの中にあった
当時のCIE
(民間情報局。敗戦後の
占領下、連合国総司令部
の一部局であった)
に別枝達夫さんと一緒に
持参した「原・はるか」
とも言うべき原稿に対して
一々削除を命令された
ためにそれらのことばが
日の目を見なかったという
検閲事情があった
こともしるしておかな
ければならないこと
である」
と書いているのだ。
このような事情が
『きけ わだつみのこえ』
には記されているにも
かかわらず、
ケスレー氏は、そのこと
には一切触れてないのだ。
占領下の「検閲」、
そこからうまれた日本側の
「自主検閲」、
それらを含んだ7年間の
占領政策による特攻隊員
に対する
ネガティブなプロパガンダ、
それらによる生き残り隊員
も含めた日本人の思想変容、
評価の歪み、そうしたもの
に一切目を塞いで、戦前の
「航空隊長による恣意的な検閲」
だけをひたすら問題にする
ケスレー氏の目は濁っている
と思うのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

