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歪曲されとんじゃ

どうも村田です

ケスレー氏は、

「ニュース映画は、

これらの犠牲と

なった飛行機が、

澄み渡る青空の中へ

と荘厳な振り付けで

消えゆく様子を映し出す。

しかし、アメリカの

軍艦のデッキ上で機体

がずたずたに

引き裂かれる陰鬱な

現実や、あるいは

それよりもむしろ

頻繁に機体が海中に

沈みゆく現実が

語られることはなかった」

と書いているのだ。

そんな映像を日本側の

誰が撮れたというのか。

出来たとしたら、

特攻機を護衛していた

直掩機だろうが、

映画の撮影でも

あるまいし、そもそも

撮影機材など積んで

いないのだ。

圧倒的な敵軍に対し

て数機で掩護し、

戦果を確認して

すぐさま戦域を離脱

しなければならない

直掩機にそんな余裕が

あろうはずがないのだ。

そんな想像もできない

ほど、特攻はケスレー

氏にとって他人事なのだ。

さて、「序論」の

主張が、公平性を

装いながら、

繰り返し、読者に

刷り込まれるように

構成されているのだ。

両論併記の体裁を

取りつつ著者の結論に

読者を誘導する手法が

採られているのだ。

節の構成では、第1節の

「特攻隊員たちの召集」

で、

その「強制性」を

意識させる記述と

なっているのだ。

そして、第2節の

「強制か志願か?」

では、両論併記の

スタイルを取りながら、

読者が「強制」を

確信する方向へと

議論が誘導されて

いつのだ。

そして、記述が進むに

したがって、この作戦

の無意味さが語られて

いくのだ。

特攻隊員たちの召集を

見るのだ。

第1節の

「特攻隊員たちの召集」

では、状況が逼迫するに

つれ、

若年層の総動員が進んだ

として、昭和18年10月の

「学徒出陣」から記述が

始められているのだ。

そして

「彼らの多くが

これに反発した」

と書いているのだ。

さらに、この

「学徒出陣」が、

あたかも、

「特攻隊員の強制募集」

でもあったかのように、

次のように述べている

のだ。

「東條内閣は、日本の

若者を犠牲にするだけ

でなく、

当時日本帝国が支配

していた朝鮮や台湾

でも特攻隊員の召集を

行っていた。

最近の韓国人作家たち

による著書は、彼らが

特攻隊への入隊を

いかに過酷な方法で

強制されたかを証言

している。」

次に、

「学徒出陣」後について、

こう書いているのだ。

「学生の動員が進んだ後、

海軍および陸軍は15歳

から11歳の少年たちの

徴募を開始した。

彼らは、特攻隊員の

半数以上を占めることと

なった。

彼らは高校から直接動員

され、まず6か月間の

短期訓練を受けたが、

戦争末期にはその訓練

期間さえほとんど無きに

等しくなった。

海軍ではこれらの

少年飛行兵を

「海軍飛行予科練習生」

と呼び、

略して「予科練」と

称した。彼らは海軍の

人員の68.9%を占め、

特攻で戦死した者の

約70%を占めていた。

陸軍における同様の制度は、

「陸軍少年飛行兵」

と呼ばれ、

略して「少飛」 とされた。

彼らは陸軍の召集人員の

53・3%を占め、

そのうち半数以上が

命を落とすこととなった。

(中略)

一方、予備士官は大学

出身者が大半を占め、

学業の途中または卒業後に

徴兵された。

彼らは最も大きな犠牲

を強いられ、陸軍では

66%、海軍では83%が

戦死した。」

大学生や高校生では

足りずに、中学生まで

戦争に動員したと

言いたかったのだと

思うが、間違いなのだ。

海軍飛行予科練習生の

制度は、1930年

(昭和5年)6月に始まり

陸軍少年飛行兵の制度も、

1933年(昭和8年)4月で、

「学徒出陣」より遙かに

早いのだ。

次にケスレー氏は

「1930年代の

日本の教育制度」

について語るのだ。

以下のようになのだ。

「特に国家主義的

軍国主義的な色彩が強く、

その影響を受けた

彼らにとって、祖国を守り、

名誉ある死を送ることは

自然なことと考えられていた」

ここでは、日本および

日本軍の異常性を強調

しようとする余り、

論理が矛盾し、事実が

歪曲されているのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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