どうも村田です
帝政ロシアを揺るがし、
日露戦争を勝利に
導いた陰の立役者、
明石元二郎について
話したいと思うのだ。
軍事力を腕力とすると、
インテリジェンスの力、
諜報(ちょうほう)力は
視力、聴力といった
五感に当たるのだ。
どんなに優秀なボクサー
でも、目隠しと耳栓を
されていては
リングでは立って
いられないと思うのだ。
軍事力が弱い小さな国は、
情報収集能力を向上せざる
を得ないのだ。
明治時代の日本もそうで
日露戦争で日本はロシア
国内に諜報(ちょうほう)
員を多数潜入させ、
そして協力者を確保して、
緻密な情報を集めて、
そして逆に情報を拡散させ
ロシアの世論を誘導したのだ。
革命組織や、ロシアに
侵略された、周辺の緩衝国
にされた北欧や東欧の
独立運動家に機密費を提供
して反ロシア運動を支援、
そして混乱をあおって
日本と戦う満州に軍隊を
送れなくした、その
元締めが明石元二郎大佐
なのだ。
日露戦争というのは
1904年に、明治の日本に
とって独立と存亡を賭けた、
国力が10数倍の超大国の
ロシアを相手に挑んだ
わけなのだ。
その時に明石元二郎は
北欧のスウェーデンの
首都ストックホルムを
拠点にしたのだ。
もともとは
サンクトペテルブルクに
いたのだが、戦争が
始まってから
ストックホルムに拠点を
移して、そこを主戦場に、
満州から遠く離れた、
いわゆる実際の戦場から
遠く離れた東欧や北欧、
ヨーロッパロシアで、
革命派、つまり
反ツァーリ派、革命を
起こしたいという反体制派や、
植民地、侵略されて占領
され、緩衝国となった
独立国、独立を目指す
独立派、
そういった人たちをまとめて、
デモやストライキ、そして
鉄道破壊工作などを助けると
ともに、
そういった反ロシア工作を
指揮して、その結果において
ロシア軍の極東派兵を妨害し
兵士たちの厭戦(えんせん)
気分を高めたのだ。
とりわけ注力したのが、
ヨーロッパ中の
反帝政革命派なのだ。
ヨーロッパ中にいたのだ。
そして何度も申すが、
侵略された周辺国の
独立派を糾合させて、
ロシア内部に揺さぶりを
かけたことなのだ。
そうした団結した
反ロシア活動によって、
ロシアの政治機能、
いわゆる神経中枢をまひ
させて、ロシアを政情
不安にさせたということ
なのだ。
その工作の結果、例えば、
徴兵された、侵略された
ポーランドやフィンランド
の兵は、
満州での日本軍の投降の
呼びかけに相次いで応じて
投降したのだ。
つまり、たった1人の
戦いが、あの大国ロシアの
政治体制の屋台骨を揺るが
したわけなのだ。
それによってロシア東部、
つまりヨーロッパロシア、
ペテルブルクを中心とした
ロシアの東部でデモ、
騒乱が相次ぎ、戦争が
始まった翌年の1905年の
初夏には、
もう事実上満州に兵力を
ロシア東部から送れない
ような状態になり、
日本との戦争ができない
大混乱に陥れたのだ。
日本はその機会を逃さず、
すかさずアメリカの仲裁
を得て、
テディ・ルーズベルト
大統領の仲裁の下、
ポーツマス講和条約を
締結するのだが、
辛うじて、日本の主権と
独立を守るという奇跡の
辛勝となったわけなのだ。
よく言われるのだが、
「明石の活躍がなければ、
場合によっては日露戦争の
勝利はなかったのではないか」
と、
よしんば戦争が続いて
いたとしても、長期化して、
ポーツマス条約よりも
さらに不利な条件で
講和せざるを得なかった
のではないかというふうに
言われているのだ。
一般的にインテリジェンス
と言うと、秘密情報、
機密情報を取るという
情報収集ということが
言われるのだが、
明石がやったことは、
情報収集のみならず、
相手国内にいわば手を
突っ込んで、
政治体制の動揺を引き
出して、そして結果に
おいて戦争を優位に導く
という、
こういう工作はその後、
第一次大戦で世界の
情報戦の常識となったのだ。
1917年のロシア革命成功
の背景には、例えば
ドイツ軍の謀略もあった
というふうに言われて
いるのだ
そして、そのロシア革命
の指導者は、明石が
工作中交わった
レーニンだったのだ。
今日では世界各国の
インテリジェンスの戦略で、
明石がやった心理戦は
普通に行われる秘密工作
の1つとなっているのだ。
そういう意味では、
明石が日露戦争で行った
対ロシア工作は世界史を
先取りするものだった
のではないかと言える
かと思うのだ。
政情不安を起こして、
そして勝利に貢献した
明石の活躍・活動は、
後年彼は自ら手記
『落花流水』
というものを書いて
残しているのだ。
これを通じて日本陸軍
最大の謀略戦と今でも
称えられているのだ。
この活躍について、
参謀次長の長岡外相は
「明石の活躍は陸軍
10個師団に相当する」
と評して、
そしてドイツ皇帝
ヴィルヘルム2世は、
「明石1人で満州20万人
の軍隊に匹敵する」と、
このように絶賛して
いるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる