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当然のことなんじゃ

どうも村田です

「国憲ヲ重シ

国法ニ遵ヒ」

の解説

帝国議会のこと。

「一旦緩急アレハ

義勇公ニ奉シ」

の解説

《橘中佐は志操堅固、

勇智に優れた軍人で

あったが、

一面部下を憐れむ

真情が惇かった。

日露の開戦されるや

明治三十七年、第二軍に

従って戦地に赴いたが、

八月末遼陽の会戦に参加

した。

遼陽の会戦は、

世界戦史中有数の大戦で、

彼我の戦死傷者も莫大な

数に上った。

橘中佐は、僅かの手兵を

率いて敵地に斬込み、

全身銃弾を蒙って血に

染り乍らも屈せず、

部下を励まして敵地を

占領したが、遂に敵弾の

為めに戦死して了った。

橘中佐が海の広瀬中佐と

共に軍神とあがめられる

に至ったのも決して

故なきに非ずである。

図は即ち橘中佐

奮戦の図である。》

《軍備は決して侵略の

為めではないことを

国民は先ず知って

置かねばならぬ。

それ故明治天皇も

勅語に於いて

『一旦緩急アレハ』

と仰せられた。

これは国を護るの聖旨

であると拝し奉るので

ある。

そこで、一旦緩急ある

場合は、現役と云わず

予備、後備と云わず、

兵籍にあるものは身命を

賭して皇国の為めに力を

尽くすべきであるが、

其の他男子並に女子は、

後陣に在って之を援助し、

挙国一致以て

国家の安全を期するよう

心掛けることが、聖旨に

副い奉る所以であると

考えるのである。》

おそらく、この部分が

戦後、軍国主敵だと

見なされ、

GHQから危険視されたの

だろう。

虚心坦懐に読めば、

これ当然のことと

いう風に思えて

きませんか。

「以テ天壤無窮ノ

皇運ヲ扶翼スヘシ」

の解説

藤原鎌足と大化の改新。

図は、鎌足が大極殿に

蘇我入鹿を誅する図で

ある。」とある

天皇の仰せまでもなく、

我が国は三千年の永い間、

上に

万世一系の天皇を仰いで

(=万世一系=天皇の

血統を辿ると必ず

神武天皇につながる。

血統の正統性)

今日に及んだことは

歴史が明かに物語って

いる。

然しながら、此の永い間

には、臣民の身で

ありながら、

恐多くも法皇を押込め

まいらせたり、自分が

皇位に即こうと企てた

大逆漢も往々出現

した。けれども、

忠良なる臣民の為めに

容易に退けられて

盤石の皇統(=天皇の血統)

には何のゆるぎもなかった。

一例を挙げれば、道鏡、

入鹿の如きは其の最も

顕著なるもので、

道鏡は忠臣和気清麿の

為めに遂に悪謀を遂げ

得なかった

(=道鏡は、称徳天皇

=孝謙女帝に取り入り

皇位を狙った怪僧。

和気清麿によって阻止

される)。

蘇我入鹿は武内宿禰の

後裔で、代々朝廷の

政治に参与していたので

(=武内宿禰は武の内

宿禰とも言われ、12代の

景行天皇から16代の

仁徳天皇に仕えた伝説の

人物)、

権勢止るところを知らず

横暴専恣は遂に皇位を

危うからしめんとの企て

にまで及んだ。

即ち彼は、推古帝の

御甥聖徳太子の御子孫を

亡して

己に縁のある皇族を

御位に即けまいらせよう

と企て、

己が家を宮と称び子等を

王子と云わしめるに至り、

朝廷を恐れざるの無道の

挙動があった。

 

中臣鎌足は此のさまを

見て大いに憤激し、

入鹿父子を

亡さん為めに日夜頭を

悩した末、皇極天皇の

皇子中大兄皇子が

同じく入鹿に対して

御不快の念を抱かせられる

を知り、

蹴鞠の遊びに事寄せて

皇子に近づき、大極殿に

於ける三韓よりの

貢物捧呈の式場に於いて

遂に入鹿を誅して、

皇室の危機を御救い

申し上げた。

 

文化が展け、国民の

知識教養が向上して来た

今日では、

道鏡や、入鹿の如き

不忠の臣は出現しない

ことは明かであるが、

思想界の激変は、

動もすれば国民に

我が国体の歴史、

性質を忘れしめて、

之を変革しようと企てる

国民の往々現われる

ことは洵に遺憾である。》

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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