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相和するんじゃ

どうも村田です

「夫婦相和シ」の解説

山内一豊と妻の物語。

《山内一豊は、初めて

織田信長に仕えた頃、

家が貧しくして武士の

持物にも事を欠き、

意の如く武功を樹てる

ことが出来なかった。

然し、其の不遇の生活

の中にも夫婦は互いに

慰め互いに励まして、

只管出世の機の到るを

待っていた。

或る日、其の年京都に

於て、馬揃えのある

ことを見込んで

駿馬を売りに来た者が

あったが、余りに値が

高かったので

赤貧の一豊には望んでも

買えよう筈がなかった。

一豊の憂色は日に増して

遂に妻の心に映った。

一伍一什を聞いた妻は、

一豊の欲する駿馬の値が

十両と聞いて驚くと

思いの他

『それではこれで

お調え遊ばしませ』

と、一豊の前に十両の

小判を差出した。

一豊は、此の赤貧の

中に妻が十両の大金を

持っていることを

いぶかって質したところ、

その金は妻が輿入の時

持参したもので、夫の

一大事以外に使用しては

ならぬとの

母親からの心着を今迄

固守して、鏡の裏に

蔵って置いた金である

ことが判ったので、

一豊は涙を流して感謝した。

京都の馬揃えに一豊は

其の駿馬を曳いて加わった。

忽ち信長の目を着くる

ところとなり、赤貧の

中にも武士としての心懸

を忘れぬことを

激賞されて次第に

重用されるようになった。

後、信長歿し秀吉薨じて

一豊は徳川家康に仕える

身となったが、

慶長五年叛将上杉景勝

を討つに当り、石田三成

は家康の東征の虚に乗じ

西に叛旗を翻して

伏見城を乗取った。

陣中に在る夫一豊の

身を夢寐にだも忘れぬ

妻は、如何して

此の大事を報ぜんかと

案じたが事の次第を

細かに書き認め、

それを細く裂いて紙捩

となし、使者の笠の紐

として陣中に急報したので、

一豊が大いに面目を

施したことは戦国武将

の妻として千古に輝く

美談である。

かくして、一豊は

典型的の武士として

今日迄も謳われるように

なったが、

これには、妻の秀でたる

良妻であると共に、其の

影に

夫婦和楽の家庭が与って

力あったことを思わしめる。》

「朋友相信シ」の解説

新井白石が登場する。

《新井白石の名は

あまりに名高い。

三歳にして大字を書き

六歳にして書を誦じ、

九歳にして藩候に侍して

贈答の文書を書いた

ことは、白石が性来

聡明であったことを

物語るものであるが、

尚勉学を怠らず、

長じて木下順庵の門を

叩いて孜々研鑽を

怠らなかった。

白石は一面非常に

友情に富んだ性格を

もっていた。

恰度順庵の門にある頃、

順庵は白石の学才を

認めて加賀侯に推薦

しようとして

これを白石に告げた。

其の頃、同じ順庵の

門弟で岡島石梁という

人があったが、

此のことを耳にするや、

一日白石を訪うて

『加賀は自分の郷里で

あり、其所には病める

母が自分の帰るのを

待っているから、

若し先生の推薦で

加賀侯に仕えることが

出来たら、母も

どんなに悦ぶことだろう』

と、

白石に斡旋を依頼した

ので、白石は友人岡島の

胸中を察して師順庵に

岡島を推薦した。

『私の仕えるのは別に

加賀侯でなくとも

よろしいから、どうぞ

岡島を自分の代りに

遣っていただきたい。』

順庵は白石の美しい

友情に動かされて遂に

岡島を推薦した。

岡島も白石の友情に

感じて真面目に加賀侯

に仕えたということで

ある。》

《然しながら、古語に

『麻の中の蓬は

矯めざるに直し』

とあるように、

善き人と交わる時は、

殊更注意しなくとも

知らず識らずの間に

それに感化され、

悪い人に交われば

同じく知らず知らずの

間に悪風に感化される

ものであるから、

友を択ぶことは非常に

むずかしいことである。

性格、境遇、趣味等

慎重に考慮して求め、

一旦水魚の交りをした

ならば、

永久に変るものではない。

図は、新井白石が

岡島石梁のたのみを

聞いている図である。》

「麻の中の蓬は

矯めざるに直し」

=まっすぐに育つ麻の

林の中に生えれば、

蓬も自然にまっすぐに

育つ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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