Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

説きなおしたんじゃ

どうも村田です

上(かみ)は乾(あまつ)

霊(かみ)の国を

授けたまいし徳

(うつくしび)に答え、

下(しも)は皇孫

(すめみま)の正

(ただしき)を養い

たまいし心を弘めん。

然して後に、六合

(りくごう)を兼ねて

都を開き、

八紘(はっこう)を

掩(おおいて)宇(いえ)

となさんこと、

亦可(よからずや)」

この詔を清原は、

「天壌無窮の神勅」

の具体化として捉えて、

以下の六点が天皇統治

の方針として示された

といいます。

1. 時世に即した政治

2. 専ら民の利を図ること

を主眼とせられた仁政

3. 皇祖の御手代として

其の威霊に頼って此の国

を治め給う所の政治

4. 国家を私する心の

ない所の公明なる政治

5. 養正の

―正義を実現する―

心を以て民を治むる所の

政治

6. 国家を以て家とする

所の大御心を以て此の国

を統治し給う事、

それは日本が所謂総合

家族制の国家であると

云うことと関連している。

以上の六点です。

そして、その祖先崇拝と

総合家族制と天皇崇拝

との関係について、改めて

次のように説明しています。

「家長を尊重するのは、

其現在の家長を奉ずると

同時に

その家長を通して代々の

祖霊に仕へるのである。

之れ我が家族制度と

祖先崇拜と密接不離の

関係を有する所以である。

日本国民が天皇に対して

現人神として仕へ奉る

のはやはり此の

祖孫一体の信念から

来るのである。天皇は

皇祖天神の其のまゝの

御延長御一体であらせ

られる。

日本国民が天皇に奉仕

するのは国家統治者と

しての天皇を

奉戴するものであると

同時に、天皇を通して

皇祖天神及び御歴代の

神霊に仕えるのである。」

以前に清原は

『大日本史』、

特にその

「神祇志」を非常に

高く評価していると、

私は言いました。

『大日本史』

は水戸徳川家・第二代の

光圀が、司馬遷が編纂した

『史記』の記事に感激して、

同様の歴史書を日本でも

作ろうとして編纂を開始

したものです。

その編纂作業は

明暦3年(1657)年に始まり、

完成したのは

明治39年(1906)年、

数えて250年をかけた

大事業でした。

編纂方針は「紀伝体」で、

天皇の事績を年代順に

記した「本紀ほんぎ」、

家臣、学者、武将など

の個人の伝記である

「列伝(れつでん)」、

天文、地理、経済、儀礼

など、特定の分野ごと

の歴史や制度の記録である

「志(し)」、

年表や系図である

「表(ひょう)」から

構成されています。

したがって、「神祇志」は、

神道についての歴史と

いうことになります。

この「神祇志」の

冒頭部分を清原は

『神道と日本文化』

で紹介しています。

「そもそも祭祀は政教の

根本であり、神を敬い

祖先を尊ぶことで孝敬の

義は天下に広がる。

あらゆる制度もまた、

これに基づいて立つ。

天皇は天祖の遺体を

継いで世々に天業を伝え、

群臣は神明の後裔として

世々に天効

〔異本に「天功」とも〕

を明らかにする。

君が民を赤子のように

慈しみ、

民が君を父母のように仰ぐ。

万民が心を一つにし、

万世にわたって変わらない。

誰もが力を尽くして

忠誠を尽くさない者は

いない。

これは海外の諸蛮には

決して見られぬものである。

ゆえに神祇を根本と

するのである。君は

天統を継ぎ、

臣は皆神の子孫であり、

一気に上下に通じて

和睦する。

ここから氏姓の制度が起こり、

士に土地を分けて氏を与え、

宗族を区別する。

族は必ず氏の長を奉じ、

宗は必ず祖神を祀る。」

天照大神の子孫が、

神々の子孫である国民を

徳によって治め、

国民は国家的家長と

しての天皇に忠誠を尽す

という総合家族制の

国家構造が、

すでにここで説かれて

いる訳です。つまり、

清原の「国体論」

「神道論」というのは

『大日本史』「神祇志」

で述べられていた

「神話」に依拠する

国家構造を、

大正から昭和の状況に

あわせて説き直したもの

といえるでしょう。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me