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挙げとんじゃ

どうも村田です

「神楽歌」については、

「上代の祝詞に次いで、

神に関する文学として

挙げられるのが

「神楽歌」である。

神楽は古くから

「かみあそび」と呼ばれ、

天照大神が天岩戸に隠れた

故事に由来するもので、

内侍所や清涼殿、さらに

伊勢・石清水・賀茂などの

大社で奏される。その際に

歌われるのが神楽歌である。

神楽歌は本歌と末歌の二連

から成り立ち、榊や幣

(みてぐら)、杖など、

神祭に欠かせないものを

題材とするのが主である。

例えば幣の歌では、

本 みてぐらは

我がにはあらず 天にます、

とよおか姫の

宮のみてぐらこの御幣は

私のものではなく、

天にいる豊岡姫の宮による

御幣です

本 みてぐらに

ならましものを すべ神の

御手にとられて なづさはましを

なづさはましを

御幣になれたらいいものだ。

尊い皇神のお手に取られて

親しく身につけてもらえる

のに 身につけてもらえる

のにといった内容である。」

こう解説した後で、

その特徴を次のように

まとめています。

「神に関わる文学として、

また神道の特色である快活さ、

明るさ、生命力あふれる

気分が十分に表れている点で、

見過ごすことのできない

意義を有している」

和歌については、

「神道信仰を表現した

歌は数えきれないほどある」

として

『万葉集』『拾遺和歌集』

『後拾遺和歌集』」『詞花集」』

『千載和歌集』『新古今和歌集』

に掲載されている和歌を引用

しています。

それから、鎌倉時代以後

に盛んに現れた神や神社

の由来を語る

「縁起類」を文学として

解説しています。さらに、

『源平盛衰記』や『太平記』

「縁起」を含んだ文学だと

指摘しています。さらに

清原は、

北畠親房の

『神皇正統記』を

「文学としても第一流の

地位を占めるものであり、

まさに日本において文学と

神道が渾然一体となって

融合した最上級の著作の

一つである」

と絶賛しています。

また、水戸光圀が編纂

を開始した

『大日本史』を取りあげ、

特にその中の

「神祇志」に言及して、

「その志類の中でも

名編とされる神祇志に

至っては、

一大神道文学として

古今に卓越した存在

である」と褒め称えて

います。

十一 神仏習合の

文化史的意義

最後の十一章で、清原は

「神仏習合」を取り

上げています。

これは、近代以前の

神仏習合を否定する

のが一般的であった

当時において、

その肯定的な面にも、

一般人の目を向けたい

という思いが、清原に

あったためだと思います。

清原は神仏習合の概略

を次のように説明して

います。

「神と仏が互いに接近

していく現象はすでに

奈良時代から始まって

おり、

その結びつきは次第に

強くなっていった。

平安時代の中頃から、

少しづつ神社ごとに

本地仏を定めるように

なって、

平安末期には急速な

発展を遂げ、鎌倉時代

初期にはほぼ本地垂迹説

が完成したのである。」

次に神仏習合に対する

批判論を紹介しています。

「仏教が神道と習合

したことを強く非難

した最初の例は、

林羅山の『本朝神社考』

である。復古神道派の

賀茂真淵や平田篤胤に

至っては、

その主張はいっそう

高められ、その流れの

赴くところ、

ついに明治新政の

神仏分離令、さらには

廃仏運動として現れた

のである。

羅山の神仏習合排斥は、

徳川時代において儒教

が台頭して仏教を圧倒し、

従来は国民の精神生活

の大部分を支配していた

仏教に代わって、

儒教が国民に対して

有形無形の絶大な勢力

を振るうに至る

端緒となったもので

ある。すなわち、

神儒習合をもって

神仏習合に替えさせる

という作用を及ぼした

のである。

しかし復古神道家の

場合は、仏教に限らず、

儒教に限らず、

あらゆる外来の要素を

我が国固有の神道と

結びつけることで、

純粋なものを不純に

したことを非難した

のであって、

その意味は全く同じ

ではない。だが、

仏教と神道が混じり

合ったことを

悪とみなした点に

おいては一致している。

そしてまた、

いずれの場合に

おいても仏徒がその

よこしまな知恵を

もって神道を侵した

ものだとする点でも

共通している。」

このように、神仏習合

に対する批判を列挙

した後、しかし、

神仏習合が起こった

ことは事実なので、

その結果については

「公平に見る」

べきだとして、まず

悪い点としては、

「主として国体の観点

から見た場合である」

といい、

林羅山の

『本朝神社考』や

『大日本史』の

「仏事志」において、

「国風を変えてしまった」

「仏事と神事を混ぜて

秩序を乱した」

「神を仏の召使の

ようにあつかった」

などと批判されている

ことを挙げています。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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