どうも村田です

七福神の成立は
おそらく戦国時代
の末頃であろう。」
九 工芸美術
第九章では、工芸
美術と神道との関係
が語られています。
ここでは、建築と絵馬
と刀剣に焦点が
あてられています。
建築については、
「神社が一般住宅
建築の向上を導いた
ということもあげ
られると思う」
と述べた後、
「上代における外来
様式の影響を受けて
いない神社の形式は、
伊勢神宮・熱田神宮
および出雲大社に
その姿を見ることができる。
前者を神明造りといい、
後者を大社造りという。」
行先で
「この神社建築が一般
住宅、ことに宮殿住宅
に影響を与え、
大陸建築様式が輸入
される以前において、
我が国の建築の発展を
促したのである。」
と述べ、
「素朴と純粋を尊ぶ神道
の精神が、その根底に
はっきりと働いている」
と、その建築の特徴を
述べています。この後から
「絵馬」についての説明が
始まります。
「絵馬の起こりは、
神社に神馬を奉納する
風習から生まれた。
本物の馬の代わりに、
板に馬の絵を描いて
奉納したのが始まり
とされる。
『本朝文粋』には、
中原長国が北野神社に
絵馬を献じたことが
記されており、
平安時代の中頃には
すでにその風習が存在
したと考えられる。
その後、絵馬の題材は
馬に限らず、花鳥や人物、
さらには歴史画などへと
広がっていった。」
「時代が下ると、絵馬
奉納の風はますます
盛んになり、
全国各地の小さな神社に
至るまで、拝殿には必ず
数十枚もの絵馬が掲げ
られるようになった。
「本来、絵馬は祈願の
ために奉納されるもの
であり、
絵そのものが目的では
なかった。しかし、大名
のような有力者や
富裕な商人が奉納する
場合は、必ず有名な
画家に描かせた。また、
依頼を受けた画家の側も
神社に奉納され多くの
人々の目に触れるという
性質や、
神にささげるという
敬虔な心から、全力で
描いたに違いない。
そのため、絵馬堂には
しばしば美術的に優れた
作品が生まれることと
なった。
たとえば、京都の祇園社
〔八坂神社〕の絵馬堂や
厳島神社の千畳閣
(厳島神社の末社で
豊国神社のこと)などは、
その代表的な例として
よく知られている。」
「刀剣」に話が移ります。
「神祇信仰と芸術との
結びつきが最もよく現れて
いるのが、
我が国の工芸の精華と
いえる刀剣である。
刀剣は、
日本において武士の魂と
呼ばれ、武士道の象徴
である。」
「中世に現れた優れた
刀鍛冶の作による逸品は、
まさに世界に冠たる存在
である。」
「刀鍛冶が刀を鍛える
ときには、幾日にも
わたって精進潔斎し、
心身を清めて神々を念じ、
その後で注連繩を張った
神聖な工房に入り、
婦人を近づけず、雑念を
去って、芸術の三味境に
没入しながら百錬千磨する。
こうして初めて、尊い
日本刀が出来上がるので
ある。
これは日本刀に限らず、
あらゆる芸術においても
同じである。
製作に没入するとき、
天神地祇を念じるのは
日本の伝統である。
すべての芸術の底流には
神道が息づいていると
考えるのは、決して
虚言ではあるまい。」
十 文学と音楽
第十章では、文学と音楽
という観点から『古事記』
『日本書紀』、
祝詞、神楽歌、和歌、
神社の縁起、『大日本史』
の神祇志、林羅山の
『本朝神社考』や
復古神道、真淵、宣長、
篤胤の文章が取り上げ
られています。
まず、『古事記』
『日本書紀』については、
次のように述べています。
「この二書、特に神代巻の
部分は、日本人の神祇信仰
を基礎として成り立った
文学であり、
かつ日本における国文学
・漢文学の両方の出発点
であることは、文化史上、
極めて重要な事実である。
同時に、この二つの神代巻
が古代日本人の神道的信仰
を余すところなく伝え、
後世の神祇信仰や神道思想
の源泉となったことを思えば、
この二書が
日本の文学と神道との関係
において最も重要な位置を
占めるものであることは、
改めて言うまでもない。」
祝詞については、
「祝詞は、徹頭徹尾、
神祇信仰の上に成り立った
文学である。そして
文学としての価値も決して
古事記・日本書紀の二典に
劣るものではない。
それどころか、古代の人々が
神々にどのような信仰を
抱いていたかを知る手がかり
としても、
決して二典に劣るもの
ではない。祝詞の特徴は、
その雄大で力強い気迫、
極めて明快で少しの憂鬱さ
も含まないところにある。
そしてこの特色こそ、
まさに神道そのものの
精神を表現したものに
ほかならない。
神道の特色は、神を祭る
文学である祝詞に現れて
いるだけではなく、
日本文学全体を通じても
一貫して流れている。」
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

