どうも村田です

農業神を祀って
いるのが稲荷神社で、
この神社が全国
津々浦々に存在して
いると述べています。
また、大干ばつや
長雨が続くときには、
神社に、
朝廷から 奉幣使が
派遣されるのが恒例
であったことや、
御田植祭というものが
多くの神社の神事と
して古くから行われて
きたことにも言及して
います。
清原の説明には
ありませんが、私は、
天孫降臨の際に、
天照大神が瓊瓊杵尊に
稲を授けられたことも
付け加えておきたいと
思います。
この神話こそ、宮中で
天皇が行われる新嘗祭、
伊勢神宮で行われる
神嘗祭、
天皇の神式の即位儀礼で
ある大嘗祭、神嘗祭を
拡大した
20年に一度の伊勢神宮
の式年遷宮、そして
全国の津々浦々で
行われる
秋祭りの神話上の
根拠だからです。
八 商業
第八章では、神道と
商業との関係が、
門前町、市、神名
などに焦点をあてて
語られています。
まず、
「第一に考えなければ
ならないことは、神社を
中心とした都市の発達
である」と述べた後、
門前町について語って
います。
「門前町の発達について
は二つの原因が考えられる。
第一は、
神社を信仰する人々が
参拝のために各地から
集まってくることである。
交通が不便であった時
代巡礼者はその地に
一泊せざるを得ない。
そうした巡礼者に対応
するための宿泊や飲食
などの施設を中心として
小さな都市が生まれ
それがやがて発展して
商業都市となるのである。
第二は、神社自体が
有力な大地主や領主の
ような存在であり、
その神社に関わる人々の
集団が大きな消費機関で
あったことである。」
次に市について説明
されています。
「神社と商業との関係
として市の問題を看過
することはできない。
上代には月のうち日を
定めて、ある場所で
物々交換を行うために
市が立てられたが、
その市を開くにあたり、
その地方の著名な神社の
祭典の日を選ぶことが
少なくなかった。
神社の祭日で行われる
牛馬市のようなものには
有名な例が多くある。
今日ではやや衰えた
傾向があるが、
二、三十年前までは
農家が使用する牛馬は、
ほとんどすべてこの
牛馬市において売買
または交換されたもの
であった。
この市を中心に地方の
人々が集まり、他の
日用品や 玩具などの
大きな市が開かれ、
それによって農村生活の
文化的向上や発展が
もたらされたのである。
一方、この機会に
多数集まった人々に
娯楽を提供するため、
見世物や興行が
催された。」
さらに神名については、
「農業の神として
大歳神が特に祀られる
ように、
商業の保護神としては
市の神がある。これを
「いちひめ」という。
谷川士清の
『倭訓栞」』によれば、
京都五条の紙屋川にある
「いちひめのかみ」
がそれであるという。
『為頼朝臣集』に、
市姫の 神のいがきの
いかなれば
あきなひものに
千代をつむらん
市姫の神の守りが
どのように固いもので
あるのか、
その御加護によって、
私の浅い縁で結ばれた
糸も、やがては
千代にわたる長い年月
を重ねていくことで
あろう。
とあるので、かなり
古くから信仰されて
いたことがわかる。
また、市杵島姫命
と同一の神であるとも
言われている。
そうであれば、
厳島神社なども本来
は商業の保護神として
祀られたものという
ことになる。
これに続けて、
夷神が説明されています。
「商売繁昌の神として
現代において特に商人
社会に重んじられて
いるのは
夷神である。夷神を
祀る夷社は、西宮の
広田社の末社である夷社、
厳島神社の末社である
夷社をはじめとして、
各地の神社に摂末社と
して多く祀られている。
日本における夷社の
起源は明らかではないが、
平安時代末には
その存在が見られ、
中世を通じて次第に
発展した。
その過程で七福神
という信仰が成立し、
夷神も
その一柱として
崇められるようになった。
七福神の成立はおそらく
戦国時代の末頃であろう。」
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

