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キーワードなんじゃ

どうも村田です

政治的にも文化的

にもますます発展を

遂げていかなければ

ならない。」

四 勤王思想

第四章では勤王思想、

つまり君主に忠義を

尽くすという思想と

神道の関係について

説明されています。

まず、

他国にも神が君主に

統治権を授けたという

思想はあるが、

日本が特別なのは、

天皇がこの国を開いた

神々の直系の子孫で

あり、したがって、

神が改めて君主に統治権

を授ける必要はなく、

皇室が先天的にこれを

持っていることだと、

清原はいいます。

だから、勤王思想と

神道とは切り離せない

というわけです。

次に、一種の思想現象と

してみた場合には、それが

目立ってくるのは、

中世の建武中興以降で、

その最も著しい例が

『神皇正統記』

を書いた北畠親房で、

それに影響を与えたのが、

伊勢神宮の外宮の神主

だった度会氏が唱えた

伊勢神道だったと述べて

います。

そして、勤王思想が

国民へ浸透していった

ことについては、

戦国時代からはじまった

伊勢参宮の影響が

大きかったと指摘し、

勤王家の戦国大名を列挙

した後、江戸時代の

勤王家について述べて

います。

特に山崎闇斎とその弟子

たちについては詳しく

述べています。

五 政治

第五章では、神道と

政治との関係が説明

されています。

ここでのキーワードは

「祭政一致」です。

清原は、例によって、

「祭政一致」

という言葉を定義した

後で、

文献から確認できる

その事例を列挙して

います。

ここでは、まず、

どの国家もその上代

には神国であったと

いえる。

しかし我が国の場合は、

それが単に上代に

とどまらず、

後にまで引き継がれて

きたという事実に

おいて、

極めて顕著な特色を

持っている。

これを我が国に

おいては普通、

祭政一致という

命題によって表す。

と前置きした上で、

「祭政一致」

の定義を三つのべます。

一つ目は、神を祭る

ことがすなわち政治の

すべてであるという

意味

二つ目は、何事も

神明の力を借りて、

神の冥助によって

物事を行う。

疑わしいことは

卜占によって神の

意向を伺い、

風雨の順調や五穀の

豊かさもすべて神に祈る。

そして一朝事があれば、

まず神明の助けを願い、

大小あらゆる出来事を

神明に報告する

三つ目は、君主が

その国の祭祀の長で

あることを指す。

そして、

「この三つの意味での

祭政一致は、古代に

おけるほど的確で

妥当な意義を持って

いるわけではない。

しかしながら、

日本においては

今日までその生命を

保ち続けている言葉

である。

つまり、その意義は

後世になるほど多少

弱められた点は

あるにしても、

長い歴史を通じて

政治と祭事が密接

不可分の関係を保って

きたために、

政治において祭事が

極めて重要な地位を

占めているのである。

したがって、すべての

政治現象に神事が内在

していることは否定

できない。」

ここから後は為政者や

学者が、神道、神事、

神社を重んじてきた

事例が列挙されて

いきます。

大化元年七月、政治の

要諦を勅問された際、

蘇我石川麻呂が

「まず祭をもって

神祇を鎮め、それから

政事を議すべきです」

と奏上していること。

北畠親房が『職原抄』

においてこれを説明して

「これは神国の風儀

であり、天神地祇を

重んじるためである」

と述べたこと。

光仁天皇の

宝亀七年四月の勅には

「神祇を祭祀するのは

国の大典である」

との言葉があること。

『延喜式※』には、

「およそ内外の役所が

さまざまな事務を

申し上げるときは、

必ず神事を先にすべし」

とあること。

『禁秘抄』には

「およそ宮中の作法は

まず神事を先にし、

その後に他の事を行う。

朝夕に神を敬う思し召し

には、少しの怠りも

あってはならない」

とあることなど。

古代の事例から始まり、

武家政権を経て、

明治維新まで、

その事例が

挙げられています。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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