どうも村田です

神道は常に
指導精神としての
力を有つことが
出来るというのです。
さらに、昭和8年11月、
『日本精神概説』
を刊行しています。
これは、
「日本精神」
を求める時勢に対応して、
これまで積み上げてきた
国体・神道・日本思想・
外来思想・武士道・
日本文化・祖先崇拝
などに関する
歴史的研究の諸成果
を集大成しつつ、
「日本精神」
を一般向けに論じ
直したものでした。
ここで清原は
「日本精神」
を三点から定義して
います。
①日本精神とは日本の
国体について十分な理解
を有し、
この国に生を托している
事を誇りとし、国家を
愛護する事を以て生命と
する精神である。
②日本精神とは日本国民
の大宗たる天皇に帰一
する事によって
互に一致団結して此の
祖国日本を益々興隆
させようとする事を
生命とする精神である。
③日本精神とは
忠君愛国の精神である。
彼は昭和10年8月から
欧米各国に出張し、
ベルリンで講演したりして、
11年3月に帰国しています。
帰朝後の昭和11年6月の
文章で、彼はこんなこと
を言っています。
欧州で立派な博物館を見て、
「王侯の奢り」を感じた。
正倉院御物には
「奢侈品」は無い。
我が皇室の
「御質素な有様」こそ、
万世一系の皇統が連綿と
続き、
王朝の交代がない、
我が国体の尊さの根源
であり、又其の表現である
ということをしみじみと
感じた。
昭和12年4月、彼は
『日本国体新論』
を刊行しました。
『国体論史』以来、
はじめて「国体」という
言葉を書名に掲げた本で、
しかも今回は資料集では
なく、単著でした。
清原の「国体論」の集大成
といわれています。
この本が出る前の月、
昭和12年3月に、文部省が
『国体の本義』を刊行して
います。
これは、昭和10年に
おきた天皇機関説事件の
結果、
政府が天皇主権論に基づく
政府見解を発表せざるを
得なくなって、出された
ものでした。
その編集に当たっては、
思想、歴史、文学分野の
著名人が集められましたが、
そこに清原の名は
ありませんでした。
これは想像ですが、
それに対抗して、
自分なりの
「国体論」
を表明しておきたい
という矜持が、本書の
出版には込められている
ように思います。
とはいえ、
『国体の本義』
と清原の国体論が大きく
異なっているかというと、
そうではありません。
むしろ、
『国体の本義』も、
『日本国体新論』も、
大正10年の
『国体論史』の「餘論」
の中で、清原が展開した
議論と同じ枠組みの議論
です。
ですから、清原のこの時
の矜持というのは、
『国体の本義』は、
自分が提起し、展開して
きた国体論と同じものだ
といいたかったのでは
ないかと思います。
それが、どんな議論
だったのかは、後で
ご説明します。
話を戻します。
昭和18年12月、清原は、
突然、広島文理科大学
教授を辞任しました。
原因はよく分かりませんが、
藤原基経による陽成天皇
廃位を取り上げて
儒教的君德主義を批判した
ことが、検閲当局の取締対象
にされたためではないかと
言われています。
昭和19年12月
『大君います国』
を執筆し、
これが最後の著書と
なりました。
翌20年4月に、郷里杵築に
疎開して、そこで敗戦を
迎えます。
60歳でした。
戦後は、郷里に住みながら、
昭和27年4月から
『大分県史料』
監修者となり、全25巻完結
の直前の昭和39年9月13日に、
満79 歳で他界しました。
ここまで、清原の経歴を
述べて来ましたが、最後に、
戦前において
「神道史」
という分野を切り開いた
人物でありながら、何故、
戦後は忘れさられて
しまったのか。
それについて考えを
述べたいと思います。
その第一は、清原は
「神道史」研究の先駆者
であったにも関わらず、
学派的には傍流になって
しまったからだと考え
られます。
先に触れた
「臨時教育会議」は、
大正7年6月にまとめた
答申「諮問第3 号」で、
従来、大学においては、
人格の陶冶と国家思想の
涵養が不十分であったと
して、
教育内容の改革を求め
ました。これに対応する
改革の中で、
東京帝国大学は、
大正9年9月に特定の学科
に属さない講座として
「神道講座」を設置しました。
そして、大正9年度は、
宗教学科講師の加藤玄智と、
国史学科講師の宮地直一が、
この講座を兼任しました。
翌大正10年4月からは
第五高等学校教授であった
田中義能が加わり、
以後、この三人による
講義体制が昭和8年まで
続いていきます。
この講座において、
田中は思想的側面から、
加藤は宗教学的見地から、
宮地は歴史学的側面から、
神道を講じていきました。
このように東京帝国大学・
神道講座を中心に展開した
神道研究において、
京都帝国大学出身で、
広島文理科大学所属の
清原は完全に傍流だった
と考えられます。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる


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