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発達するんじゃ

どうも村田です

「国民思想の指導」

に当たる教員を養成

するために書いた

ものでした。

彼はこんなふうに

説明しています。

「これまでに国民が

色々な思想問題に

直面して採った態度、

国民の思想の移り

行った動き方等を

研究して国民性、

国性を明かして始めて

現在国民の思想に

対する誤らざる方針を

立つる役に立つのである」

この実践的な問題関心から、

これまで比較的等閑視

されて来た

「我国民思想史の研究」

として上梓したと

いうのです。そして、

この本の神道に関する

事項は

『神道沿革史』

を基礎とし、

国体に関する思想に

ついては、『国体論史』

が基礎となっています。

さらに、翌大正15年4月

に清原は、これまた500頁

を超える

『日本道徳論』

を出版しています。

これは、広島高等師範学校

での職務である「修身」に

関する研究成果であると

同時に、

明治40年前後から盛んに

なった「国民道徳」に

関する諸研究に新たな

一石を投じようとした

ものです。

清原は「序」

(大正15年1月付)において、

数多くある国民道徳論の

中で本書が持つ特色に

ついて、

これまでの国民道徳に

関する著作は哲学者や

法律学者に限られて

いたが、

本書は「歴史家」

「国史研究者」の立場

からの国民道徳に関する

研究である点を挙げて

います。

更に世界の事情に順応

するという事を考慮に

いれて将来の

我国民的理想を樹立して

行くことを目指したと

述べています。

この『日本道徳論』の

二ヶ月後の大正15年6月に

上梓されたのが、

解説する

『神道と日本文化』

です。

このさらに二ヶ月後、

大正15年8月、彼は

「徳川幕府神社に関する制度」

で京都帝国大学より

文学博士の学位を授与

されました。41歳の時です。

そして、昭和4年4月、

広島文理科大学の開校と

同時に、史学科・国史学

専攻の教授となりました。

44歳でした。

広島文理科大学は、現在の

広島大学です。

広島文理科大学教授と

なって三年後、

昭和7年6月に、

『神道沿革史』を

全面改定した清原の主著

『神道史』を刊行します。

その「結語」において、

歴史学の視点から見た

「神道」について、清原は

次のように語っています。

「所謂固有神道なるもの

が必ずしも原始神道では

無く、

国内的に或る段階まで

発達したものを今日

固有神道と呼んで居つた

事は最初に述べた所である。

然らば国学者なども

神道に発達といふ事を

是認するものであると

云はなければならぬ。

発達を是認する以上、

それが更に発達する事をも

当然是認すべきである。

現に国学者が純粋古神道

なりとして提示して居る

ものも、実際は

それらを時勢相応に進んだ

頭脳の持主である国学者

たちに依つて思考せられた

新神道に外ならないのである。

即ち国学者の唱道した

古神道も実は我が神道

発達上の一節に外ならぬ。

極端に云へば固有思想

の時代に託して、自己の

理想を披瀝したのが

国学者の所謂古道である。

只神道を一種の宗教的

信念の上に立つ徳教として

国民生活の指導原理

たらしめるためには、

自分一個の理想又は

信念として示すよりも

之を国民的遠祖の行実に

託し、その上(かみ)の

事実の中に理想的なものを

探り、

或いは「解釈」に依つて

之れを理想化し、其所に

国民の生活基準を作る方

が遥にまされりとすべき

であらう。

此の意味に於て、上代

国民の思想信仰即ち

固有神道を歴史的に研究し、

その基礎の上に、新知識

を以て新時代に応ずべき

理想的な神道信念を打ち

立つると云ふ事は甚だ

願はしい事でもあり、

最近に於ける国民の

関心事たる思想独立を

実現するためには最も

肝要な事である。

其所に神道の不断の発達

があり、永久の生命と

刻々に移り行く国民思想

に対しても

常に指導精神たり得る力

を有つ事が出来るのである」

ここで語られている

清原の神道観は、

「神道発達史観」

とでもいうべき

動態的神道観です。

「固有神道」や「古神道」

と言っても、決して

原始そのままの固定的な

ものではない。

国学者のいう「古道」

も彼等の理想を表明した

「新神道」だと考える。

したがって、古代の

国民の思想や信仰を

歴史的に研究して、

その基礎の上に、

新知識を付け加えて、

新時代に相応しい

理想的な神道信念を

打ち立てることに

よってこそ、

刻々に移り行く

国民思想に対して、

神道は常に

指導精神としての力を

有つことが出来る

というのです。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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