Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

監督するんじゃ

どうも村田です

おこぼれが随分

他党に回って

いますよね。

ですから、日本語

学校の理事長を

やっている人たちと

ご飯を食べて、

「私たちも名前だけ

くっ付ければ全員

衆議院になれたね」と

年齢的に最初から

受け付けてくれない

かもしれませんが、

いいではないですか。

議席が余ってしまってね。

あんなに回すことは

ないですよね。

そうですよ。

ですから今回

すごかったというか、

いや、私は高市さんが

友達ですからうれしい

けれど、

余ってしまった議席は

みんな名前だけ並べて

おけばいいよねと

もっとあれですよね。

それこそありがたみ

というキーワードも

話を伺っていてたびたび

出ていると思うのです

けれど、

あの議席を回して

もらった野党の人たちは

もう少し

ありがたみをかみしめて

ほしいところですかね。

ですから新人教育を

どうするかということが

今問題になっています

けれどね。

やはりみんな、何か

こう当選してしまった

のはいいけれど、

政治家たるものは何を

どうすればいいかと

いうのを分かっていない

人がいると思います。

やはりそれを監督する

のがわれわれ国民の

仕事だと思いますよね

本当に枚挙にいとまが

ないぐらいさまざまな

政策が山積されている

と思いますから、

ただただ日本のために

逐一粛々と遂行して

いっていただきたいな

という思いしかないのです。

本当に月並みな感想

しかないのですけれどね。

話は変わりますが

皇學館大学は、三重県

伊勢市にある大学で、

東京の國學院大學と

ともに、高等神職の

養成課程がある大学です。

私は専門分野は近代の

神道史で、その成果を

まとめた専門書に

『近代政教関係の

基礎的研究』があり、

これで國學院大學から

「博士(神道学)」

の学位をいただきました。

また、一般書としては、

神社新報社から

『「現人神」「国家神道」

という幻想』

を出しています。

天皇の位の継承、

皇位の継承についても

研究していまして、

その関係で、平成29年3月

と令和3年4月に、政府の

有識者会議に招かれて

意見陳述を行いました。

さて、戦前において

著名な神道史研究者で

あった清原貞雄が書いた

『神道と日本文化』

という本を解説します。

この本は大正15年6月

の刊行ですが、日本の

敗戦後、GHQによって

焚書とされました。

内容は一般人向けの

入門書です。

「神道がすべての日本

文化の源泉となっている」

との立場にたって、

日本文化を11の分野に

分けて、それと神道との

関係をできるだけ

「具体的に」

「公平かつ客観的に」

説明しようとしたもの

です。

これを読めば、大正15年

当時において、「神道」

がどのようなものとして

説明されていたのかが

分かると思います。

すでに述べたように、

清原貞雄は戦前においては、

著名な神道史研究者で

あったわけですが、

戦後は、学界においても、

一般においても、長らく

忘れさられていました。

その清原に再び注目が

集まるきっかけを

作ったのは私なのですが、

その彼の本の解説の役割

を私が引き受けることに

なったのは、

偶然とはいえ、何か

因縁のようなものを

感じます。

そんな訳で、彼に

ついては、ほとんどの

方がご存じないでしょう

から、

本の内容の解説の前に、

彼の経歴と業績を

ご紹介します。

清原貞雄は、

明治18年(1885)年、

大分県速見郡杵築

(きつき)村

(現・杵築市)で

生まれました。

父は清原博見(ひろみ)

といい、

国学者の物集高世

(もずめ・たかよ)

に歌道を学び、

後に国学者の

井上頼圀について

和漢の書を学んで

います。

明治維新直後に、

伊勢神宮の神職

養成所として設置

された

「神宮教院」、

それを改組した

「神宮奉斎会」

に奉職しています。

つまり、清原は国学、

神道的な環境の中で

育ったわけです。

中学校は、大分県立

・杵築(きつき)中学校

ですが、

同窓には海軍大将、

終戦時の軍令部総長

だった豊田副武

(そえむ)と、

東條英機内閣・

小磯国昭内閣・

東久邇宮内閣で

外務大臣を務めた

重光葵がいました。

その後、熊本の

第五高等学校に進学。

同窓には大川周明と

重光葵がいました。

明治40年(1907)年、

京都帝国大学・

文科大学に

「史学科」が開講。

清原はその第一期生と

なりました。

国史専攻で、恩師は、

日本法制史学者の

三浦周行(みうら・

ひろゆき)です。

明治43年に卒業し、

そのまま京都帝国大学

の大学院に進学し、

「神道史」

を専攻しました。

この意味については、

後ほど説明します。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me

Comments