どうも村田です

それは忘れられない
のだ
人間はフェアじゃ
なくてはいけない
のだ。
もちろん、ある程度
自分の体験を通じて
いろいろなことを判断
するわけだけれど、
だから日本が負けた
からといって寄って
たかってたたくのでは
なくて、
台湾では兵隊さんは
守ってくれたのだと
いうことをやはり
きちんと言わないと
フェアではないのだ。
台湾からは随分志願兵
の方も戦地に向かって
くれたのだ
だから私は靖国に
よく行くのだ。
特に8月15日にわざわざ
行くわけなのだ。
去年もすごかったです
あの暑い中でずっと
長蛇の列で
靖国にお参り行く人が
いて、私は若い友人が
連れて行ってくれたの
だけれど、
あの長蛇の列に入る
勇気はないのだ。
横から参拝して、
だけれど炎天下のあの
長い列に加わるのは
どう見ても少し無理だ
と思って、しかし横の
道は自由に出入り
できるから横の道から
最敬礼をして、その後に
おすしを食べに行くのだ。
かみしめないとで
そういう選択ができる
のですからね。
けれども、8月15日です
からやはり靖国には顔を
出したいなと、
そういう気持ちは
忘れていないのです
素朴に、自然な感情と
してでぎょうぎょうしい
ことではなくです
わざわざそれに連れて
来てくれる若い友人が
いて、
その息子はもっと若い
わけですから、
一番若いボーイフレンド
ですからね。
それで話が少し横道に
それるけれど、その一番
若いボーイフレンドに
言うのは何かというと、
「ちゃんと勉強しなさい。
成績上がったら報告しなさい。
おすし連れて行ってあげる」
とにんじんをぶら下げるの
です
本当にささやかなこと
だけれど、とにかく
勉強しなさいと
そのにんじんにつられて、
その子はどんどん成績が
上がっていくのです。
動機がどんなものであれ
実行に移すということが
重要ですね
何しろその子は
高市早苗さんの
大ファンなのです
一昨年の8月15日に
高市早苗さんが講演会
をやったのですよ。
8月15日ですよ。
それを一緒に聞きに
行ったのだけれど、
まだ中学生の子が
きちんと自分で申し込んで、
お金を払って一緒に
行ったのです
総理に就任される全然
前でまさか総理大臣に
なるとは思って
いなかったです
熱狂的な支持者の方
だってそう思われて
いた方は多いのでは
ないですか
やはり総裁選で
どうしても小泉さんに
負けてしまうのでは
ないかとか、
苦杯をどうしても
なめてしまうのでは
ないかというのは
支持者の方だって
思っていらっしゃった
でしょうからね。
でもあの時から
8月15日に講演会をやり、
そして講師が私と
いうことから、
はっきり彼女の思想
というのが分かるわけ、
伝わるわけです。
だって、8月15日に
集会をやるのですよ。
それで私に講師を頼む
のですから、それだけ
でもやはりいろいろな
ことが伝わってくるの
ですよ。
改めて日本が去った後
の方が、この具体的に
形を浮かび上がらせる
ような意味で、
その日本精神のイメージ
ができてきたということ
なのですけれど、
もう少し具体的に
申しあげると、日本精神
とは例えばどういうこと
になりますかね。
真面目、
それで植民地統治です
から当然嫌な思い出も
ありますよ。
だけれども、プラスと
マイナスを足し合わせると、
残ったのはプラスです。
だから台湾の人は親日が
多いのです。
植民地統治はいいこと
ばかりではないですよ。
そういうことです。
実際に入っていく人は
個人個人の振る舞いが
あるわけですから、
威張りくさった人も
当然いるだろうけれど
しかし台湾が近代化
していったのはあの
50年があったからです。
それこそお砂糖の生産を
したり、近代化していく
とか、
津々浦々までに小学校を
作った、これは大きい
ですよ。
教育ですよ。
昔は要するに学者になる
人だけが勉強していて、
あとはみんな字も
読めないわけですよ。
清朝の植民地統治なんて
台湾のこと「化外の地」
と言ったのです。
文化の化の外です。
だから文化の外のところ
だと言っていたわけだから、
教育なんて絶対しない
わけで、ですからそれで
何が良かったかというと、
日本の統治が始まって
津々浦々まで学校を
作ったことです。
だから字が読める
ようになるわけですよ。
それといろんなところ
からの移民があったり、
もともとの原住民だったり、
ですから一貫した言葉が
ないけれども、日本語
という統一の言葉も
できたのです。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

