どうも村田です

改めて話を
リップンチェンシン、
台湾のように
どうしても日本の
統治というと、
朝鮮半島と台湾と
比較、先ほど
比較対象がないと
分からないという
話をされていたけれど、
やはりお隣の韓国だと、
日本統治時代を
日帝支配とかひたすら
搾取されたとか、
どうしても悪の
イメージで捉えられる
というのがいまだ
根強いと思うのだ。
それとやはり台湾での
受け取られ方というのが
あまりにも違うような
気が今日(こんにち)は
するのだが、
やはり改めて
振り返られて
その違いというか、
なぜこんなに半島と
台湾で違うのかだが
一言で言うと台湾人は
能天気なのだ
それと、朝鮮半島と
いうのは、もともと
自分の李王朝や何かが
あり
独立国家だったことも
あるけれど、でも実は
常に背後の中国に
狙われていたという、
そういう歴史もある
わけなのだ。
だからプラスとマイナス
を正直にというか、
フェアに判断するべき
ものを、
やはりどうしても
マイナスのことを強調
したがる民族性という
ものがあるのだ。
やはり寒いし、
はげ山ばかりなのだ。
そういうところと
台湾みたいに明るくて
暖かいところで
そして周りを全部
海に囲まれていて
いくらでも魚を釣ったら
食べていけるのだ。
バナナが自然になって
いて、もぎ取ったら
それだけでも生きて
いけるのだ。
そういう地理的な
環境というか、これは
大きいのだ
気候条件だとか立ち
位置だとか、だから
たまたま朝鮮半島
というのは中国に
つながっているわけで
台湾は台湾だけで
存在し得るわけだから、
そういう地理的な条件
そしてそこで生まれ育った、
大体そういうところで
生きてきた人間は、やはり
メンタリティが違うのだ。
だから同じ
プラットホームに
置いて
その違いを言う
日本人は間違って
いるのだ。
すべての環境を見て、
なぜこうなったかと
いうことを考え
なければいけないのだ。
いろいろな条件を挙げて
いかないと、そのうえで
総合的に見ると、
どうしてもそういう
違いが生まれてこざる
を得なかったという
ところなのだろう。
だから、今、韓国人は
やはり世界的に頭を
出している人がいるのだ。
台湾の人は比較的能天気
だから、残念ながら
国際社会に出て行こうと
する人があまりいないのだ。
だから、あまり頑張ら
なくても生きていける
ということの良し悪し
なのだ。
では、日本統治時代の
台湾での思い出とか
風景とか、
強烈にそのご記憶に
残っていらっしゃる
こととかは、いまだに
やはりありますか。
忘れられない思い出は
あり、戦時中の話だけれど、
台湾はあまり災害は
起きなかったのだが、
一度、私は北投という
ところへ疎開していた
のだけれども、時々街の
真ん中に出てくるのだ。
そしてたまたま街の
真ん中に出てきた日に、
空襲警報が鳴ると
防空壕(ごう)へ行くのだ。
右に1つ防空壕(ごう)が
あって、左に1つ防空壕
(ごう)があって、
どちらに行くかはその時
その日の、ある意味では
気分なのだ。
そうしたらある時、
私は右の防空壕(ごう)
に入ったのだ。
左の防空壕(ごう)は
直撃弾を受けて、
あそこに行っていたら
死んでいたのだ。
金美齢はいないのだ。
そういう思いを強烈に
したのと、もう1つは
先ほど言ったように、
私は北投というところ、
有名な温泉が出る北東
というところに実は
疎開していたのだ。
そうすると当時は交通が
あまり順調ではないから、
北東に帰る時はちょうど
昔の台湾神社というものが
あって、
今は円山大飯店という
ホテルになっているのだ
けれど、それは蒋介石の
奥さんの宋美齢が
その神社を接収して
自分のホテルにして
しまったという、
そういういわくつきの
ホテルがあるのだ。
その円山大飯店のところ
から左に、淡水側に
沿っていくと北投まで
行くのだけれど、
私は大体その曲がり道の
ところ、円山大飯店の
手前までは交通があって
何とか行かれるわけなのだ。
そこからはトラックを
止めるのだ。トラックと
言っても軍用トラック
しかないのだ。
そこで手を上げると
止まってくれるのだ。
そして交通手段として
一般人を乗せてくれる
わけなのだ。
私はチビだし、子ども
だったので、トラックの
後ろにはい上がれないのだ。
そうしたら兵隊さんが
運転席からわざわざ
降りてきて、私を
乗せてくれるわけなのだ。
その思い出があるので、
日本では戦後兵隊さんの
ことをいろいろ非難する
人がいるけれど、
私はその思い出があるから
「兵隊さんよ、ありがとう」
という話を、
実は戦後60年の
靖国神社でしたのだ。
つまり、私はそのいい
思い出があるのだ。
兵隊さんは台湾人を
全然抑圧しなかったのだ。
私はむしろそうやって
トラックに乗せてもらった
思い出があるのだ。
チビだし子どもだし、
はい上がれないのですよ。
そして大人みんな何とか
はい上がるわけだけれど、
交通手段として使った
それに抱っこして乗せて
くれたことを鮮明に
覚えているのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

