どうも村田です

「日本と台湾の歴史
2つの祖国への思い」
というテーマで、
書くのだ
金美齢先生は台湾出身
の評論家であり、
かつて中華民国総統府
国策顧問も
お務めになられた方
なのだ。
金先生は日本統治時代
の台湾にお生まれになり、
戦後の激動の時代を
生き抜いてこられたのだ。
その後日本に渡られ、
早稲田大学に入学、
学びを深める中で
日本社会への理解を深め、
後に日本へ帰化されて
いらっしゃるのだ。
以降、日本を拠点に
言論活動を展開され、
日本と台湾の関係、
そしてアジア全体の
安全保障について鋭い
提言を続けてこられた
のだ。
また、ご存知
『朝まで生テレビ!』
をはじめとする
さまざまな言論番組
にもご出演され、歯に
衣着せぬ発言で広く
知られていらっしゃる
のだ。
中華民国の国策顧問
ではなくて、
台湾総統府の国策顧問
と申しているのだ。
さらに特筆すべきは
台湾の民主化運動に
関わられたことで、
かつて国民党政権下に
おいてはブラックリスト
にお名前が
30何年も
ブラックリストに載って
台湾に帰られなかったのだ。
ずっとブラックリスト
なのだ。
爆弾を投げたわけでも
ないのに要するに今では
全然問題ないような
言論活動も許されなかった
のだ
それは今や勲章なのだ
本当に、現在の台湾
からは全く想像できない
けれど、
そういった過去をご経験
された方でいらっしゃる
ということ、
またまさに真正面から
体制と向き合って
こられた
当事者としての歩みを
持つお方でいらっしゃる
のだ。
その経験を背景に、
現在も日本人の国家観、
そして
自由とは何かを問い
続けておられるのだ。
そのご経験とお考えに
ついて、たっぷりと話を
伺ってまいりたいと思う
のだ。
早速ですが日本精神、
リップンチェンシン
という読み方になるのだが
これが台湾ではいまだに
生きているというか
今の若い台湾人がそれを
言っているかどうかは
分からないのだ。
しかし、私の時代では
その言葉というのは
台湾には厳としてあった
けれど、
日本にはなかったのだ
だからこれは台湾語で
「リップンチェンシン」
と言うのだ。
それは台湾語で
なぜかというと、
戦後に
中国から来た
蒋介石一派の中国人の
振る舞いを見て、
それと比較した結果、
植民地統治だけれど、
日本の統治の方が
よほどましだったと
いうことに比較の上で
気が付いたのだ。
そこで出てきたのが
日本精神、
「リップンチェンシン」
という言葉で、これは
台湾語なのだ。
むしろ日本が統治
していた時代よりも、
日本が去ってから
言葉としては浸透した
ということなのだ
統治されていた時は
別に不満はなかった
のだけれど、
統治されていると
いうことは間違い
ないわけなのだ
ところが第二次大戦が
終わって日本が引き揚げて、
後で入ってきた
蒋介石政権、それと
比べた時で初めて
分かるわけなのだ。
だから植民地統治とは
いえ、日本は台湾を
現代国家にしたわけ
なのだ。
それが分かったのは、
やはり後から来た
蒋介石政権の腐敗なのだ。
人間というものは与え
られる時は分かって
なくて、
なくなって比較して
初めていろんなことが
見えてくるということが
あるのだ
だから私みたいに
いろんなことを経験して
初めていろんなことを
理解していくというか
『朝まで生テレビ!』
は一度断ったら二度と
お呼びがないのだ。
お誘いがかかった時に、
何か都合が悪くて少し
お断りしたのだ。
そうしたら二度と
お呼びがなくて少し
残念だと思っている
のだ。
長い時間をかけてやる
のでそれで見慣れた人
もいるし、
夜だから夜更かしの
好きな人もたくさん
いたのだ。
あの番組で結構知られた
ところもあるので、
つまりほかの番組と
いうのは
殿方が働きに行った
時間に残っている
奥さま方に対する
番組だったりする
わけではないですか。
そうしたらやはり
対象者が家庭の主婦と、
『朝まで生テレビ!』
みたいに何かこう、
殿方がたくさん見ている
というのは
性格上届く相手が
全然違うのだ。
だから一度断って
二度とお呼びがない
のが結構残念なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる


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