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というようなことなんじゃ

どうも村田です

この当時の

いろいろな学説を、

実は津田左右吉

(そうきち)が

整理していて、

大正2年9月の

『神代史の新しい研究』

の中で当時の学説が

3つあると言っている

のだ。

1つが比喩説、

それから、比較神話学、

それから白鳥庫吉に

よる新説だというのだ。

その新説はどういう

ものかというと、

「神代史は皇室の尊厳

を明らかにするために

つくられた物語である」、

これに津田も同意して、

「ただ神話全体の構造

とその基礎にある精神

の解釈に異論があるので、

『神代史の新しい研究』

を出したのだ」と

言っているのだ

つまり、先ほど言った

津田左右吉(そうきち)

が弾圧された理由の、

「皇室の尊厳を明らかに

するためにつくられた

物語である」

という考え方は、

そもそも津田左右吉

(そうきち)では

なくて白鳥庫吉という

方の説だったという

ことなのです。

さらに、内務省神社局

が大正10年1月に出した

『国体論史』

で神道学者の清原貞雄が

言っていることも改めて

取り上げたいと思います。

「国民をしてこれ、

国体論を了解せしめ、

信ぜせしめんと欲する

にある以上は、

国民がほとんど常識

として有するところの

科学的知識に抵触せざる

理論の上に立たざる

べからず、

神話はその国民の

理想精神として最も

尊重すべし。それは

尊重すべきのみ。

これを根拠として、

わが国体の尊厳を

説かんとするは危うし。

先入史としてこれらの

国造り説と相いれざる

新科学上の知識を注入

せられおる国民は、

あるいはこれを信ずる

ことを得ざるが得なり」

「神話は尊重しても

いいけど、それを

根拠にして天皇陛下の

尊厳なんか説いちゃ

だめだよ。

何かというとはもう

科学的知識を持って

いるから、そんなの

信じないんだよ」

と言っているわけなのだ。

これは内務省神社局の

出した本なのだ。

それから人類学者の

鳥居龍蔵という人は、

大正13年3月に

人類学雑誌に

「今や国民の知識は進歩

して、もはや神話伝説

などをうのみにして

そのまま信ずるような

ことはなくなっている」

と書いているのだ。

また、ここで改めて

加藤玄智の昭和10年の

『神道の再認識』

の記述を見て

思い出していただき

たいのだけれど、

その時加藤が何と

言ったかというと、

「天皇を現人神

(あらひとがみ)なんて

教えられていないし、

天皇の先祖も神だと

教えられていなくて、

人祖人宗として教え

られていました」

と書いていたのだ。

それでは、これらの

事実から確認できた

結論を言うと、

久米邦武筆禍事件以降、

一時的に神話研究が

タブー視された時期は

あったものの、

明治32年以降は神話学、

歴史学、考古学、人類学、

民俗学などの研究の成果

の公表が許されたのだ。

その結果、大正時代終盤

には進化論を学んでいる

国民に対して、

神話を根拠にして

国体の尊厳を書くこと

はむしろ危険であると

内務省神社局の書物で

公に言われるほどに

なっていたということ

なのだ。

では、これからすれば、

もう村上重良さんの

言っていることは

明らかに間違いなのだが、

何でこの誤った説が

ずっと今まで言われ

続けたのかということ

を考えてみたいと思う

のだ。

私としては5つぐらい

原因が考えられると

思うのだ。

1つは、東大を中心と

した官学を重視して、

史学や民間での研究を

重んじる

日本のアカデミズム

一般の傾向なのだ。

確かに久米邦武筆禍事件

の影響で東大における

歴史編さんが断念されたり、

史料編さんが切り替え

られたりしたことは

あったけれど、

それをもって東大の

歴史学が不自由に

なったということを

もって、

自由な研究が禁じ

られたというふうに

早合点しているわけ

なのだ。

それは早稲田とかの

私学での研究に全然

注意を払っていないし、

早稲田大学に移って以後

の久米邦武の発言や

研究を完全に無視している

ということなのだ。

「東大でできなければ

学問じゃない」という

ようなことなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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