Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

つくっていくんじゃ

どうも村田です

全国の神社の

国家の宗祀(そうし)

制というか

公制が大正にかけて

回復していくという

ことになるわけなのだ。

回復していくという

よりも、明治の時に

言われた約束が

次第に守られるように

なったということなのだ。

この府県社以下が、

公の存在として位置付け

られていったことの意味

なのだけれど、

明治末年までは

とにかく公的な神社は

厳密にいえば伊勢神宮

のみなのだ。

広く捉えても保存金が

出されている百数十社

の官国幣社だけなのだ。

だから、このような

状況の中で、例えば

小学校に神社参拝を

させようとしても、

そもそも公のから

大事にされている

ものではないので、

小学生に行かせる

意味がないし、行かせる

としても全然数が

足りないわけなのだ。

「ほとんどの神社が

公ではなかったのが

神饌幣帛

(しんせんへいはく)

料の支出によって

国家的な存在、地域的

に大事な存在として

位置付け直された。

だから小学校で

行きましょう」

という話になってくる

わけなのだ。

そうすると、

「神社に行かせて

いいんですか」という

次の神社問題というのが

出てくるわけなのだ。

ここにはもう1つ、

同じ流れの中に別の

意味があって、

神社に対して内務省中

でも神社局というのは、

実は非常に小さい局

なのだけれど、

一番大きな局は警保局

という警察を束ねていた

ところと

地方局という知事など

を任命していた部局

なのだけど、

この地方局の神社の

位置付けが変わって

くるのだ。

その辺のことを少し

説明したいと思うのだ。

内務省地方局の神社に

対する考え方が変わった

と言ったけれど、

それは何がきっかけ

だったかというと

日露戦争なのだ。

日露戦争は、戦費が

国家予算の7倍とも

言われるほど戦費を

必要として、

それをほとんど借金、

公債で賄って8割が

公債だったと言われて

いるが、

その半分以上が

外債なのだ。

外国から借りたお金

だったわけだが、賠償金

が取れなかったので、

結局全部日本は自力で

お金を返し、なおかつ

傷付いた陸海軍の立て直し、

戦後に予想される経済的

な国際競争にも備えて

いかなければいけないと

いうことになってしまった

わけなのだ。

だから、結局増税は

そのまま国民は重税に

耐えながら産業を発展

させていくということ

なのだ。

それはもうひとえに

国民のやる気と能力を

維持し、向上させて

いくというしかなくて、

その手段が教育だった

わけなのだ。

だから、明治40年に

小学校の就学年限を

4年から6年に上げて

いるのだ。

しかも、卒業した後の

補習教育や夜学教育を

やって国民の能力を

上げようとするのだが

結局これをやっても

お金がかかるわけ

なのだ。

それでは、どこから出すか

というと、国税はもう

目いっぱい上がって

しまっているので、

結局それは地方の市町村

の負担として返ってくる

わけだが、

そこで内務省が考えたのが

地方をもっと強くする

「地方改良運動」

ということをやるのだ。

この地方改良運動と

いうのは、どんな運動

だったかというと、

そもそも近代的な市町村

の制度、市町村制が

できたのは明治21年なの

だけれど、

それは全国に7万余あった

大きさも経済力もバラバラ

の市町村、これを

「村落共同体的町村」

略して「部落」

と言うのだけれど、

それをある程度規模を

そろえて、同じような

行政が行える単位に整理

し直すのだ。

それを1万3,000余に

統合していくのだけれど、

それを「行政町村」と

呼ぶのだ。

行政町村内の、今の

住所でいうと、

「大字(おおあざ)」

と言われているのが、

昔の村落共同体的町村

なのだ。

それを統合していく過程で、

しかし統合しきれない

ものがあったのだ。

1つは「若者組」

と言われる若者集団で、

それぞれが字(あざ)

のアイデンティティーを

形成し、共にライバル

だったので、これを統合

することはできなかった

のと、

もう1つは部落ごとに

持っていた入会地なのだ。

みんな共同の財産だったり

するものを束ねることが

できなかったので、

この存在が行政町村の

団結を弱めたり、精神的に、

経済的に行政町村の団結が

弱い原因になっていたので、

これを改めて行政町村を

強くしていくというのが

地方改良運動の眼目だった

のだけれども、

その若者組を改組して、

今の青年団というのを

つくっていくというのが

1つなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me