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追求していくんじゃ

どうも村田です

「自分が昭和15年に

言った説が帝国憲法

制定以来の通説だった」

というふうに、戦後の

憲法学者たちに教えて

きたということになって

いるわけなのだ。

それでは、次に司法官、

行政官たちの解釈の

変化について説明したい

と思うのだ。

いろいろ資料を探して

いたのだけれど、1つ

見つけたのが

皇學館大学の図書館で

明治35年の『憲法通釈』

という教科書があり

これは神宮皇學館、

大学で使われた教科書

なのだけれど、

書いている人が

安濃津地方裁判所

刑事部長で、

監修している人が

名古屋控訴院、

今でいうと、高等

裁判所の長官なのだ。

そういった人が書いて

いるという本で、それが

神宮皇學館の学生向け

の教科書だったのだ

けれど、そこのところに

「28条の宣言は何か」

と書いてあるのだけれど、

3つあって1つは

「医療を妨げる行為」

なのだ。

「これは信教の自由を

だから言って認められない」

としているのだ。

それから

「天皇に対する敬礼

を失する行為」なのだ。

「敬礼しよう」

と言っているわけではなく、

敬礼をしない、敬わない

という行為なのだ。

それから、

「神託などと称して

国民を惑わしたり、

法律を軽んじたりする行為」

ということが、禁止対象

となっているのだ。

次に、昭和初期の

内務省神社局の見解

なのだけれど、

昭和2年8月に

内務省神社局事務次官

の足立収(おさむ)と

いう人が

「神社行政の概念」

という論文を書いていて、

このように書いている

のだ。

「神社が宗教であると

致しましても、日本国民

は之を信仰しなければ

ならぬ義務はない。

神社に対する個人の

関係に於きましては、

これを信仰する義務は

ないかもしれませぬが、

相当なる敬礼を表する

義務があると言ふて憚

(はばから)ぬので

あります。

其敬礼を表する方法は

私はどうでも宜しいと思ふ。

神前に於て

南無阿弥陀仏と唱えへ

ませうとも、アーメンと

唱えて拝みませうとも、

其形式は信仰の自由に

任して宜しい。其

手段形式はどちらでも

無論差支えないところ

であります」。

これはひどいのだ。

「いいのかな」

と思ってしまうのだ。

「神様の前に行って

アーメンと言おうが、

とにかく敬意を表すれば

いいんです」

みたいなことなのだ。

これが昭和初期なのだ。

ところが、昭和10年代

になると、同じ内務省

神社局の見解でも

変わってくるのだ。

この時の神社局事務次官

の岡田包義(かねよし)

という人が

『神祇制度大要』

という本を昭和11年11月

に出しているのだけれど、

そこではこう書かれて

いるのだ。

「若(も)し、現存宗教中

に教則として神社の崇敬を

認めざるものがあれば、

憲法二十八条に

所謂(いわゆる)

『安寧秩序ヲ妨ゲ又

臣民タルノ義務ニ背ク』

ものとして、

当該宗教団体が国憲に

よって取り締まらるゝ

関係に立つのであります」

としているのだ。

つまり学者や役人の

解釈の変遷をまとめると、

まず1番目は

「明治時代の憲法解釈

では神社参拝は臣民たるの

義務に含まれていません

でした」、

2番目に

「昭和初期における憲法

解釈も基本的に明治時代と

変わらなかった。しかし、

昭和10年代になると、

神社の尊崇とか信仰ないし

崇敬が憲法上の義務である

と言われるようになった」

ということなのだ。

こうなってみると、

次に追求すべきテーマ

なのだけれど、

帝国憲法というのは

明治23年から昭和22年

まで57年間存在していた

憲法だけれど、

この憲法の解釈が変わって、

臣民の義務に神社参拝が

含まれるようになったのは

昭和10年代、法的義務づけ

は最後の7年間のみなのだ。

57年間のうちの最後の

7年間のみなのだ。

この最後の7年間の変化

はどのようにして起こった

のか、

その変化を促した

社会的要因は何だったのか

ということを追求していく

のが次のテーマとなるのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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