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なんでもないんじゃ

どうも村田です

そもそも憲法に

反するような解釈が

どうして生まれて、

それが政府に採用

されるようになったのか

という経緯を、

やはり検討してみる

ことが必要だと思うのだ。

検討の手順としては、

まずは憲法学者たち、

法学者たちが、

どのような解釈を取り、

言ってきたのか、それが

どう変化してきたのか

なのだ。

次が、その憲法学者

たちに教えを受けた、

それを参考にしたりして、

実際に政策を担っていた

行政官たちがどのような

考え方をしていたかなのだ。

最後に、その神社を

めぐる問題の政府の

具体的な対応は

どうだったのか、

というこの3点にわたって

検討していく必要があると

思うのだ。

憲法学者の説を検討する時に、

「誰が神社参拝の強制と

いうことを言いそうかな」

と考えると、

先ほど宮澤俊義が

「天皇主権の憲法だった

ので、それを支えている

神社の信仰を強制したんだ」

という言い方をしていた

のだ。

ということは、一番

言いそうな憲法学者

というのは、天皇主権論

を取った人たちのはず

なのだ。

天皇主権論をとった

憲法学者というのは

そう多くなくて、

1人は穂積八束という

東大ができた時の最初の

憲法の先生で、

その弟子筋に当たる

上杉慎吉というこの

2人なのだけれど、

結論から言うと、

2人とも

「神社参拝が臣民の義務だ」

とは言っていないのだ。

なぜかというと、

彼らの天皇主権論の

構造がそういうことを

必要としないからなのだ。

神社参拝の強制を必要と

しないし、矛盾して

しまうからなのだ。

穂積の場合は、まず

天皇主権の根拠と

いうのは先祖崇拝、

祖先教でその家の先祖を

祭る家長の地位を非常に

重視するのだ。

「その家長の地位がまず

大事で、そして日本国の

家長の立場にあるのが

天皇だから、天皇に

主権がある」

という話になっている

わけなのだ。

つまり、彼の議論でいうと、

家と皇室が直結されていて、

そこに神社という存在は

関係ないのだ。

だから、彼の天皇主権論

において、神社参拝などは

構造上必要ないことなのだ。

むしろ彼の議論と矛盾

してしまうということに

なるわけなのだ。

上杉慎吉の場合は、

天皇のみが神なので、

他の神々の信仰を必要

としないのだ。

天皇絶対論からすれば、

それは当然のことであって、

「絶対的な天皇を信仰

させるために、ほかの

神々を拝まなきゃいけない」

みたいなものは、

論理矛盾なので、彼の

議論からやはり出て

こないのだ。

憲法発布当時に一番

28条の信教の自由に

ついて詳しく解説して

いた学者であり、

官僚であった有賀長雄

という人がいるが、

明治22年4月に出した

帝国憲法編の中で、

この28条の臣民たるの

義務は何かということを

説明しているのだけれど、

まず1つ目は納税、

兵役の義務なのだ。

だから、

「宗教の信仰を理由に

して、税金を納めない

ということはできません」、

あるいは逆に言うと

「税金を納めないことを

勧める宗教は認められ

ません」ということなのだ。

それから兵役なのだ

もう1つが

「統治する天皇に対して、

臣民たるの位置に立つ者

の義務」ということで、

これは少し分かりにくい

のだけれど、彼はそれを

言い換えて、

「天皇およびその祖宗に

対する敬礼を怠らない義務」

としているのだ。

それでは

「この敬礼というのは何か。

これが神社参拝か」というと、

実は彼はそうは言って

いなくて、

「この敬礼を怠らないと

いうことは、侮辱や誹謗

中傷しないことだ」

というふうに言っている

のだ。

この有賀が言う敬礼に

関係して、よく憲法発布

直後に

神道儀礼がキリスト教徒に

強制されたというふうに

解釈されている事件がある

のだ。

それは内村鑑三不敬事件

というものなのだ。

どういう事件だったか

というと、明治24年

1月9日に

東京本郷にある一高で

始業式があったわけ

なのだけれど、

その時に教師をしていた

キリスト教徒の内村鑑三が

「教育勅語の礼拝しなかった」

と非難されて教師を辞め

させられたという事件

なのだ。

これは一般には、

「国家神道による

神道信仰の強制の実例」

として語られるのだ。

その実態はどうだったのか

というと、まずこの始業式

の儀式そのものが教頭が

考えたもので、

教育勅語の中に書かれて

いる天皇の署名部分に

お辞儀をするという儀礼

だったのだ。

これは全然神道儀礼でも

何でもないわけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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